さて、ここらで寺社用・神社用ともに御朱印帳が残り少なくなってきたので、新しいのを買わなきゃってことで、神社用は上賀茂・下鴨・建勲神社を候補にしていましたが、なかなか行けないし、尼崎市内の水堂須佐男神社もありかなとも思いつつ、石清水八幡宮なら行けるかと候補に。
一方、寺社用はナッキーおすすめのあびこ観音にしようかなと思ったのですが、この日は急遽の出発で出発時間が遅く、かつ所用で15時には帰宅という強行軍。
石清水八幡宮にカーナビセットしてお金ケチってした道選択したら片道2時間…。
こりゃ無理だと尼宝線の交差点で、ナビの指示を無視して左折してあびこ観音に向かうことにしました。
Contents
あびこ観音へ
まあ、あびこ観音なら住吉大社が近いので、2月に初詣に行ったものの写真を全く撮ってなかった住吉大社も合せて参拝という作戦ですな。(·∀·)b
ということで、国道43号線を西に向かい、約1時間足らずで、
あびこ観音南門の脇にある駐車場に到着しました。
参道と正門
一度、境内を抜けて正面入り口を探すと、西門が正門だそうで、
コチラから参道となります。
木々に囲まれた参道を歩き、
正門から改めて、参拝させていただきました。
創建
あびこ観音の正式名称は、「吾彦山 大聖観音寺」と言い、546年に創建された日本最古の観世音菩薩の仏閣です。
当時、朝鮮半島に派遣されていた膳臣巴提便という豪族が、百済の聖明王から日本の国土安泰を祈り、任那の牟婁にある大伽藍の御本尊の胎内仏であった聖観世音菩薩を託されて帰朝したものの、当時は飛鳥の都に仏像を持込むことはできなかったため、やむを得ず難波の我孫子浦の丘に草庵を建てて安置したのが始まりとされています。
その後、「霊験あらたかな仏が祀られている」ことが伝わり、土地の豪族や付近に定住していた帰化人たちが信仰を深め、御利益があらたかになるにつれ評判を高めました。
しかし、552年には時の権力者であった物部守屋による排仏運動が起こり、仏教徒は弾圧され、仏殿は焼かれ、仏像は破壊されるという危機の中、我孫子浦の草庵に安置された聖観世音像は忽然と姿を消してしまいました。
それから三十数年、聖徳太子が物部守屋に勝利し排仏派を滅ぼし、「仏法興隆の詔」を発せられたことで、地域の住民たちは歓喜し、行方不明の尊像を探すとともに、再度、任那に渡り、今度は伽藍の御本尊である聖観世音像を請い受け、我孫子の草庵に安置しました。
そして、606年に我孫子浦を訪れた聖徳太子が、偶然この聖観世音像と対面し、その縁起を聞くと「我孫子浦は風光明媚にして観音霊場にふさわしい場であるから、直ちに伽藍を建立し、観音道場とするがよい」と仰せになり、莫大な財貨を下賜されました。
その後、十二年の歳月をかけ、618年に聖観音寺の建立に至りました。
行方不明の観世音像
ところで、排仏運動の際に忽然と姿を消した聖観世音像ですが、745年に聖武天皇が難波宮で病に倒れ、名医の薬でも高僧の祈祷でも効果が無く、病状は悪化する一方であった折に、占いにより「河内国和泉郡の山中に棲む龍王が世にもまれな御仏の像を護持しているので、請い受けて礼拝すれば、病気平癒はもちろん全ての厄難は霧散霧消する」と言われ、直ちに東大寺大仏建立にあたっていた行基大徳に霊像探査の勅命を下されました。
行基大徳は78歳の後期高齢者でしたが、和泉の山谷を巡行し、龍王が棲むと思われる霊漠を訪れ、三昼夜に渡って祈願すると、ついに龍王が現れ、右掌に尊像を捧げ、大徳に授けられたと言いますが、この尊像こそが行方不明だった聖観世音像でした。
行基大徳が直ちに都に持ち帰り、天皇の御病床に安置して祈念すると、重病が快癒され、大層お喜びになった天皇は一寺を建立され、尊像を安置されました。
しかし、この山中の寺院も1469年に応仁の乱の戦火で焼失し、聖観世音像は寺僧によって持ち出され、高野山小田原谷の聖無動院に安置されます。
さらに百二十年余りが過ぎた1590年、豊臣秀吉により落城した小田原城の城主である北条氏直が重臣である東二郎左衛門とともに高野山に隠匿し、ともに出家し、二郎左衛門は名を快敬と改め、隣接する聖無動院の聖観世音を尊み深く信仰しました。
すると、夢で「我は百済聖明王の世に渡来、あびこ山観世音と祀られた「聖観世音菩薩」である。我をあびこ山に還らしめよ。必ず無辺の功徳を表すであろう」とのお告げを受け、師匠の僧侶の命を受け、下山し、聖観音寺の御本尊の胎内に安置し奉ったそうです。
実に、1000年以上の年月を経て、胎内に戻った聖観世音菩薩という壮大なお話です。
本殿(円通殿)
1897年に再建された本殿には、御本尊である中央に聖観世音菩薩、左右に大勢の仏様が安置されています。
本殿内の様子です。
護摩堂
1979年に建立された護摩堂には、油之不動明王が祀られています。
護摩堂内の様子です。
庫裡
この建物謎だったんですが、調べたら1898年に完成した庫裡(寺院の台所)でした。
金辰殿
1982年完成の白龍弁財天を祀る金辰殿。
ところで、この背後(本堂左)に、大日如来・弘法大師・阿弥陀三尊・聖武天皇像・行基菩薩を祀る1984年完成の大日殿があった様ですが、見逃しました。(·∀·)
その他境内
白龍池
大日殿を見逃した理由は、金辰殿に隣接する白龍池の錦鯉があまりに巨大だったから。
「スゲェな…」ってしばらく見とれてしまいました。
十一面観音
参道に唯一安置されている観音像で、頭部に十一の顔を持つため十一面観音さんと呼ばれています。
地蔵尊
南門から入ってすぐ左手に祀られている地蔵尊。
御詠歌の碑
1971年に完成した御詠歌の碑。
「残りなく 身の障りをば はらわなん えにし あびこの寺にもうでし」
西国三十三観音
1947年に真言宗から独立し、観音宗を設立したあべの観音ですが、西国三十三ヵ所霊場の観音菩薩群が、本堂の裏手を囲む形で並んでいます。
びんずるさん
神呪寺に続いて、賓頭盧尊と再会しました。(·∀·)b
保存樹 大楠
樹齢800年を超える大楠は大阪市の指定保存樹。
後述しますが、大阪市が設置した説明書きのプレートは先日の台風で吹っ飛び、御朱印を書いてくれた方が説明書きを書き直されたそうです。
筆跡がエライ違うんですけど。(·∀·)
おいなりさん
記載が無かったので、御朱印を書いていただいた方に尋ねると稲荷社だそうです。
御朱印
コチラの寺務所(授与所)で、
令和4年新デザインの御朱印帳に、
直筆の御朱印を頂戴しました。(右は記載済みのものです。)
ところで、その方が面白い方で、12時頃だったんですが、ちょうど出社?して来られたタイミングで、ナゾに二度塗り三度塗りしながらプルプル震える手で、御朱印を書いてくださったのは良いのですが、スタンプの色が変わる700円版をお願いしたのに、「こんなん色が違うだけやで」って、赤押して、お代はしっかり700円取られました。(·∀·)
まぁ、大楠のお話とか大阪市の悪口とか色々面白かったので良しとしましょう。(·∀·)b
あびこ観音(大聖観音寺) 情報 by 関西御朱印 ブログ
大阪市住吉区我孫子4-1-20
TEL:06-6691-3578
無休
拝観料 無料
拝観時間 4~10月 7:00~17:00 11月~3月 7:30~17:00
寺務所受付時間 9:00~17:00
初穂料 通常御朱印 500円 彩色版 700円
御朱印帳 2,000円~2,500円(通常御朱印記入済み)
公式ホームページ あびこ観音寺 – わが国で一番古い観世音菩薩の仏閣 (abikokannonji.com)
本日のおすすめ商品(ガツンとみかんマルチパック 7箱入り 赤城乳業)
今年の夏の氷菓は「ガツンとみかん」と「ガツンとイチゴ」で乗り切っております。
イチゴ好きとしてはイチゴを推したいところですが、果肉感はミカンの方が感じられます。(·∀·)b