三光神社を後にして、「真田幸村めぐルート」に沿って寺社を周るか否か考えながら、ご近所の寺社を検索してみると、何やら気になるお名前の寺院を発見しました。
「真田幸村めぐルート」に関しては、コチラのページをご参照ください。
三光神社 真田丸の一角に鎮座する大阪七福神巡りのスタート地点 – 関西御朱印 ブログ (kimikan.com)
その名も「どんどろ大師 善福寺」。
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どんどろ大師 善福寺へ
「どんどろ大師」って何やねん?という好奇心で、試しに向かってみると、三光神社の北側一の鳥居からは直線で約400メートルというところにあり、すぐに到着しました。
名前から、もっとハッチャケたお寺を勝手に想像していましたが、意外にも極めて普通の落ち着いた感じの寺院でした。
門も解放されていたので、入りやすそうです。
傾城阿波の鳴門・巡礼の段
入り口脇にあった銅像は、「お弓」と「おつる」。
帰って調べてみると、歌舞伎や浄瑠璃で取り上げられることの多い「傾城阿波の鳴門・巡礼の段」のワンシーンだそうです。
十郎兵衛と「お弓」夫婦は、徳島の主君玉木家の家宝である盗まれた国次の刀を探すために旅に出て、大阪玉造に住んで、今では盗賊の仲間になってしまっていました。
ある日、お弓が一人で留守番をしていると、巡礼姿の少女がやって来ました。
国許に残してきた娘である「おつる」と同じ年頃の娘ということもあり、話を聞いてみると、少女は「おつる」という名で、両親を探して徳島からはるばる大阪まで旅をしてきたという身の上話を語ります。
「そうかい。それで、親の名は何というんだい?」
「あい、とと様の名は十郎兵衛、かか様はお弓と申します。」
今、目の前にいる少女が間違いなく自分の娘「おつる」であることを確信した「お弓」。
「おつる」も「お弓」に母の面影を感じたのか、「ここに置いてはいただけませんか?」と頼みます。
今すぐに抱きしめ、自分が母であることを名乗りたい「お弓」ではありましたが、なにぶん今では盗賊の仲間であり、そうすることで罪が娘にも及ぶやも知れません。
自分の気持ちをぐっと堪えて、国に帰る様に諭す「お弓」。
それでも「ここに置いてほしい」と願う「おつる」を泣く泣く追い返す「お弓」。
悲嘆にくれた「おつる」はやがて哀しそうに巡礼歌を口ずさみながら立ち去ります。
だんだんと遠ざかっていく「おつる」の巡礼歌に、堪え切れなくなった「お弓」は、
「おつる」の後を追って駆け出すのでした。
というシーンが、弘法大師巡礼の地であるこのどんどろ大師の前であったことから、「お弓」と「おつる」の銅像が設置されている次第です。
建立と歴史
弘法大師巡礼の地であることからわかる様に、どんどろ大師 善福寺は、真言宗の寺院です。
しかし、元々は江戸時代の宝暦年間(1751~1764年)に鏡如庵大師堂として建立された寺院でした。
その後、明治時代に廃仏毀釈により廃寺となってしまいました。
そこに1909年、大阪府豊能郡豊能町から如意山甘露院善福寺が移転し、現在に至ります。
そして、鏡如庵大師堂時代から弘法大師信仰の巡礼「大師巡り」「浪華大師巡り」の巡礼地として大阪の弘法大師信仰の寺院の一つとなっています。
境内
境内に入ると、
大小、様々なお姿のお地蔵様が祀られています。
そして、奥に進んでいくと、
どんどろ大師?
どんどろ大師さんが鎮座されていました。
…と思ったんですが、実際は大坂夏の陣の戦死者を弔うために建立された修行大師像。
紛らわしい提灯止めてください…。
勝軍地蔵尊
さらに奥には、
ひときわ大きな勝軍地蔵尊が鎮座されています。
勝軍地蔵とは、祈願することで戦勝をもたらし、飢饉等の悪行にも勝つことができるという鎌倉時代後期以降の武家の信仰が民間にも伝播したものです。
御朱印
立て看板に従って、2階の本堂に上がります。
コチラが本堂です。
御本尊として弘法大師像、脇侍として愛染明王像と不動明王像、脇仏として如意輪観世音菩薩像と薬師如来像が安置されています。
いずれも戦後に、安置されたものだそうです。
向かって右側に寺務所があり、
「どんどろ」がサイン調の直筆御朱印を頂戴しました。
どんどろ大師の由来
御朱印を書き入れてくださった比較的若いご住職に由来を伺いました。
大坂城代として赴任した土井利位という方が、弘法大師に信仰が深く、屋敷が当時の鏡如庵大師堂の近くにあったことから、朝に夕に参拝されていたそうです。
いつしか人々の間で「土井殿の大師様(どいどののだいしさま)」という名が広まり、それが訛って「どんどろ大師」と呼ばれる様になったそうです。
まあ、伺ったというよりご住職が自らご説明くださったんですけど。
ご住職さんはお話好きで、お話自体も面白いというのが最近の印象です。
ところで、「その土井殿の名前が彫られた五輪塔が階段下に現在も残ってますよ」と伺ったので、
帰り際に撮影させていただきました。