祇園神社から出て車で南下して七宮神社を目指します。
実は、途中で荒田八幡神社にも立ち寄ったのですが、社務所不在で御朱印が頂戴できなかったので、また日を改めて参拝したいと思います。
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七宮神社へ
湊町戦を南下し、阪神高速3号神戸線の下を潜り、西出高松前池線に入ると、すぐに右側に木々が茂っていたので到着できた模様。
しかし、大きな交差点の北西角にあるため一気には入れず、右折してみたら中央分離帯があって右折できず、結局しばらく進んでUターンして七宮神社の駐車場に入ることができました。
五宮神社、祇園神社と参拝してきたので、自然に包まれた神社と車通りの激しい大きな交差点に鎮座される神社とのギャップがすごい…。
創建
一宮神社、二宮神社、三宮神社、四宮神社、五宮神社、六宮神社に続く生田神社の八裔社にして、神戸八社巡り七柱目となります。
一応、ここまで順番に参拝させていただいてきたんですが、六宮神社は八宮神社の境内にあるということなので、1社飛ばしてしまいました。
生田神社の八裔社については、下記ページをご参照ください。
一宮神社 神戸八社巡り一柱目は、三宮駅から徒歩10分足らずの好立地 – 関西御朱印 ブログ (kimikan.com)
創建は不詳ですが、神功皇后が三韓征伐から帰還される際に生田神社の創建に合せてお詣りされていることから、かなりの歴史を持つことがわかります。
しかし、七宮神社の由緒記によれば、平清盛が福原遷都に当たり、築島建設に際し、埋め立てに使用する土砂を会下山を削り捻出していたものの、暴風雨で工事が捗らず、調べてみると、大己貴命がその地に祀られていました。
そこで清盛は、現在の地に社殿を移し、自ら直筆で「南無七大明神」の神号を奉り、それ以降、兵庫の津北浜の産土神として祀られる様になったとありますので、神功皇后が参拝された時代には、会下山に鎮座されていたものと考えられます。
拝殿
ここでも青空と木々の緑に映える拝殿を撮影することができました。
写真で見られる様に、狛犬は4つ。
ということで、今回はダブル阿形さんです。
主祭神
平清盛が会下山から遷座した大己貴命が主祭神です。
大己貴命には、大国主命・大物大神・葦原醜男・八千矛神・大国玉神・顧国玉神の別名があり、計7つの御名を称えて七宮神社と言われています。
あれ?神功皇后が参拝した生田神社の八裔社の一柱だからじゃないの?と意外な由来。
他に、本殿内には御祭神として、大日霊貴命、天児屋根命、猿田彦大神が祀られています。
大日霊貴命は、天照大御神の別名ですね。
天児屋根命は、天照大御神と素戔嗚尊の誓約によって誕生した男神の一柱です。
天照大御神と素戔嗚尊の誓約については、コチラのページをご参照ください。
一宮神社 神戸八社巡り一柱目は、三宮駅から徒歩10分足らずの好立地 – 関西御朱印 ブログ (kimikan.com)
兵庫大神宮

元々は、1868年(明治元年)に伊勢神宮の御神徳を宣布するために神宮教院が創立され、後に神宮奉斎会となり、全国各府県に神宮神部署支署とともに併設されました。
1904年には兵庫県にも神宮奉斎会行後県本部が設置され、1928年に七宮神社前宮司が本部長として兵庫区東山に奉斎殿を奉祀、1946年に兵庫大神宮と称する神社を創建しました。
1954年には七宮神社内に遷座され、七宮神社ともども崇拝されてきました。
しかし、阪神淡路大震災により社殿は倒壊し、現在は七宮神社本殿内に合祀されています。
御祭神は、天照大御神・豊受大神・天御中主神・高産巣日神・倭比売命の五柱です。
境内には現在でも阪神淡路大震災の傷跡と思われるものが残されていました。
西側鳥居
車で来たので、駐車場側から入りましたが、
この西側の鳥居から参拝するのが本来の順序と思われます。
社名の刻まれた石碑が素敵ですね。
御朱印
コチラのモダンな社務所で直筆の御朱印を頂戴しました。
ところで、ホームページによると毎月朔日詣りでは、限定御朱印が販売され、そこに書かれた文字をつなぎ合わせるとある言葉になるという面白い企画もしていらっしゃるそうです。
ご興味のある方は、朔日詣りに!