玉造稲荷神社を後にして、南に下って行きます。
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三光神社へ
真田幸村めぐルート
長堀通りを越えて天王寺区に入ると、間もなく一帯が真田幸村縁の地となり、2016年の堺雅人さんが真田幸村を演じた大河ドラマ「真田丸」以来、「真田幸村めぐルート」というロードサインがあちらこちらに見られ、その足跡を辿ることができます。
まずは位置的に、ほぼ真っすぐ南下すればたどり着く三光神社に参拝することとしました。
ほどなく、到着した三光神社北側の一の鳥居。
この階段を上った丘が真田山と称されて、三光神社が鎮座されています。
方柱の鳥居
階段を上った先にある通称「方柱の鳥居」二の鳥居。
古くは、遠くに生駒金剛連山を見渡せる景勝地として名高かったこの鳥居も、大阪大空襲によって向かって右側の柱を残して倒壊しました。
戦後、この鳥居を再建するにあたり、悲惨な戦争を二度と繰り返すことなく悠久の平和と国家の安泰を祈願して、この方柱を残す形で再建されています。
ところで、写真ではわかりづらいかと思いますが、この残された方柱には、陣幕・竹縄・三保関・葛城・朝日山・押尾川・藤島・不知火・岩友と9名の大相撲の力士の名が刻まれています。
ちなみに1枚目の一の鳥居の左側の柱の前の石碑は、崩壊した二の鳥居の一部だそうです。
真田幸村像
真田丸の幟が咲き乱れる境内の様子。
正確には、真田丸はこの周辺地域一帯にあったとされているので、真田丸の一部ですね。
この奥に、
真田幸村公の像が立っています。
陣羽織を羽織り、勇ましい姿の雄姿は、イラストレーターの成瀬浩一氏のデザインで1987年に建立されました。
台座となっている石は、真田家の菩提寺である信州上田の長谷寺から運ばれたもので、「真田石」と名付けられています。
ところで、真田幸村公像の左にチラッと見える穴が、大坂の陣の際に幸村公が大阪城からここまで掘ったと言われる「真田の抜け穴」の跡です。
現在は、柵で塞がれて中には入れませんが、実は私、こういうの大好きでして、じっくり見ようと思ってたら、ここで痛恨の電話が鳴るという事態…。
ちょうど近くにあったベンチに腰掛けて話している内に見るの忘れました…。
しかし、近年では実は敵方の前田利常軍が掘った攻撃の抜け穴の跡という説もあります。
創建の由来
拝殿は、もう少し階段を上がった高台に鎮座されています。
創建は、西暦406~412年の反正天皇の時代とされおり、日本で唯一の中風除けの神とされ、全国から多くの参拝者が訪れています。
中風とは、痛風のことかと思いましたが、いわゆる脳卒中等の後遺症による半身不随の状態のことだそうです。
主祭神
拝殿に祀られる主祭神は、天照大御神・月読尊・素戔嗚尊の御三神。
野見宿禰を御祭神とする野見宿禰社、武内宿禰を御祭神とする武内宿禰社、主守稲荷社は合祀されているとのことなので、この拝殿内に祀られているのでしょうか?
他に、境内で見つけたお社は、
これだけだったのですが、これが残る末社の仁徳天皇社かどうかも確認できませんでした。
得意の見逃し…。
三光神社の阿形さんです。
真田幸村公が祀られているわけではありませんが、拝殿にも絵図がある他、
拝殿脇には、あくまで真田幸村公・真田丸をアピールする記念撮影パネルが設置されています。
テン高黄疸女子の「私の佐助はどこに?」が聞きたい…。
大阪七福神巡り
ところで、三光神社は大阪七福神巡りの一つにもなっています。
順に周ると、トップバッターとして「寿老神」を祀る神社ですね。
ということで、
境内には、寿老神像が祀られています。
ところで、この寿老神ですが、先ほど合祀されたと書きました武内宿禰が長寿であったことから、寿老神と同一とみなされているそうです。
しかし、私は武内宿禰のことは存じ上げなかったのですが、寿老神と福禄寿は同一と思っていましたが、これまた違う様です。
一般的には両方入っている様ですが、地域によっては、寿老神の代わりに吉祥天が入っている地域もある様です。
これまた奥深そうなので、おいおい追記できればと思います。
尚、三光神社では寿老神とされていますが、一般的には寿老人と表記されています。
御朱印
せっかくなので、寿老神も併せて直筆御朱印を頂戴しました。
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