なぜか家に8月に期限切れを迎える大阪~京都間の新幹線の回数券があったので、
久方ぶりに、京都にやってまいりました。
新幹線使う意味が全く無いので、新快速でですけど。
本日の目標は、三十三間堂・清水寺・八坂神社・知恩院、できれば東福寺とか東寺にも行けたらなぁ等と悠長に構えつつ、駅前のバスターミナルで市バスの1日周遊券を購入。
季節が良ければ歩くところでしたが、まぁこの暑さでは止む無しですね。
早速、身近な三十三間堂方面に向かうバスに乗り込み、いざ出発!
Contents
- 1 三十三間堂へ
- 1.1 本堂(三十三間堂内部)
- 1.2 創建
- 1.3 三十三間堂外観
- 1.4 通し矢
- 1.5 楊枝(やなぎ)のお加持
- 1.6 太閤塀
- 1.7 庭園
- 1.8 夜泣泉
- 1.9 鐘楼
- 1.10 東大門
- 1.11 稲荷社
- 1.12 後白河法皇(上皇)の碑
- 1.13 法然塔
- 1.14 閑浄庵
- 1.15 御朱印
- 1.16 三十三間堂 情報
- 1.16.1 京都市東山区三十三間堂廻町657
- 1.16.2 TEL:075-561-0467
三十三間堂へ
バス停3つくらいで、すぐ到着したんですが、
想像以上に目の前に着きました。
横断歩道を渡り、
右手の入り口から中に入りました。
あれ?写真撮影禁止でした?失礼しました。
チケット売り場でチケットを購入して、個人参拝口から境内に入ったのですが、チケットはなぜかノーチェック…。
本堂(三十三間堂内部)
コチラが本堂入り口。
修学旅行生が多数いらっしゃったので、高校の下駄箱みたいな感じでした。
ところで、右に行くと本堂で、
この先でかの有名な国宝:千手観音坐像を中心に、これまた国宝:千体千手観音像が並ぶ壮観な場所に参拝できるのですが、残念ながら撮影禁止でした。
ということで、ポスターでご容赦ください。
一列目には、千手観音坐像を中心に、またまた国宝:風神・雷神と二十八部衆像計三十の像が横一列に並んでいます。
従って、上のポスターは合成で、風神・雷神像は一列目の両端に安置されています。
ちなみに、たまたま修学旅行生のガイドさんのお話を横でシレッと聞いていたところ、千体千手観音像は、全て別々の作者によるものだとか。
そして千体千手観音像と言われていますが、御本尊の背後にも一体あり、正確には1001体の千手観音像が安置されているそうです。
創建
1155年に第77代天皇として即位した後白河天皇は、1158年にわずか3年で二条天皇に天皇の座を譲り、上皇として院政を行いましたが、元々は後白河上皇の離宮であった法住寺殿があったのがこの場所に当たります。
後白河上皇が平清盛に協力を命じ、1165年に法住寺殿の広大な一角に創建されたのが、蓮華王院本堂たる三十三間堂です。
従って、正式名称は「蓮華王院本堂」で、後白河上皇が頭痛に悩まされているときに、主目に現れた僧が、「上皇の前世は熊野の蓮華坊という僧侶であり、岩田川にその髑髏が沈んでおり、その目穴から柳が生え、風によって動くことが頭痛の原因」と告げ、調べてみるとその通り、髑髏が沈んでおり、千手観音内に髑髏を納め、柳の木を梁に使ったところ、頭痛が治まったという言い伝えもあり、前世名から名付けたものと言われています。
創建当時は、五重塔を擁する本格的な寺院でしたが、1249年に焼失し、1266年に後嵯峨上皇によって、本堂である三十三間堂のみが再建されました。
尚、桃山時代には隣接地に豊臣秀吉により方広寺(京の大仏)が建立され、三十三間堂もその境内に含まれましたが、江戸時代に入ると方広寺、三十三間堂ともども妙法院の管理下に置かれ、現在も三十三間堂は妙法院の境外仏堂となっています。
ちなみに、方広寺は1798年に大仏殿に落雷があり、焼失しています。
三十三間堂外観
外は、撮影自由なので、
三十三間堂の外観ですが、長さ120mのこの建物自体も国宝です。
たぶん、この辺りが中央部なので、千手観音坐像が安置されている場所かと思われます。
ところで、三十三間堂という名前の由来は、南北に延びるお堂内の柱間が三十三あることによりますが、観音菩薩の変化身三十三に基づき、柱間が三十三になる様に設計されたという説もあります。
通し矢
コチラの本堂西側の軒下120mを南から北に矢を射通す弓術競技です。
安土桃山時代が起源ですが、江戸時代に盛んとなり、各藩の弓自慢たちが参加する今日の名物行事となりました。
中でも一昼夜を通して矢数を競う「大矢数」の記録達成者は「天下一」と称されました。
天下一弓術会?
ちなみに、本堂内観音像の裏側廊下には、数名の「天下一」たる猛者たちの成績が書き込まれた肖像画が飾られていますが、史上最高記録は1686年に紀州藩の和佐範遠が総矢数13053本、通し矢8133本だそうです。
しかし、たぶんギネスブックには載っておりません…。
現在でも、その伝統は引き継がれ、1月15日に近い日曜日に「三十三間堂大的全国大会」が開催されています。
距離は60mで、軒下で競技するわけでもないので、風景は全く違うものですが、特に新成人を迎えた女性が華やかな振袖袴姿で競技する姿は、よくニュースで見かけますね。
西側の門には、「通し矢 射場」と掲げられていました。
楊枝(やなぎ)のお加持
上部写真左がその風景で、大的大会と同日に行われる行事で平安時代から続く伝統的な法要です。
三十三間堂を管理する妙法院の僧侶が、聖樹とされる柳で、祈願した法水を参拝者の頭に注ぎ、病気平癒を祈願します。
これは、先述の後白河上皇の頭痛平癒の逸話に由来した法要ですね。
柳の小枝は頂戴できるので、頭痛平癒に御利益があるとされています。
尚、この日は境内が無料開放されるので、大的大会と合せて大変な賑わいだそうです。
太閤塀
豊臣秀吉が、隣接地に大仏殿方広寺を建立した際に、寄進した泥土をつき固めたつくりの築地塀で、国の重要文化財に指定されています。
ともに寄進された南大門も現存し、国の重要文化財に指定されていますが、コレ、境内からは行けなくて、拝観しておりません。
最初の入り口を真っすぐ南下したところにあり、普通に車が往来している様です。
庭園
南北に分かれて、美しい池泉回遊式庭園があります。
夜泣泉
お堂創建の翌年に一人の僧が夢のお告げによって発見した湧き水と言われています。
夜の静寂の中で水の湧き出る音が、人のすすり泣きに似ていることから「夜泣泉」と呼ばれる様になり、いつの頃からか傍らに地蔵尊が奉られ、幼児の夜泣き封じに功徳があるとして、地蔵様の前掛けを持ち帰り、幼児の枕に敷けば夜泣きが治るとされ、現在でも参拝客が絶えないそうです。
鐘楼
普段は突かれない様ですが、除夜の鐘などの際には突かれるのでしょうか?
東大門
立派な朱塗りの東大門ですが、コチラも普段は閉鎖されている様です。
稲荷社
久勢大明神を祀る稲荷社です。

後白河法皇(上皇)の碑
聖忌とあるので、亡くなられて800年の1992年に建立されたものと思われます。
後白河上皇が院政を敷かれた「法住寺殿」址碑です。
法然塔
1204年、この地で土御門天皇が後白河法皇の十三回忌法要を行った際、法然上人が天皇に請われ、声楽に秀でた僧侶を集め、六時礼賛という法要を行い、参集した人々に写経を勧めたと言われています。
南無阿弥陀仏と刻まれた石碑は、その筆跡を記念して建立されたものです。
閑浄庵
境内を一周してきて最後に出会った施設、閑浄庵。
トイレですな。
御朱印
三十三間堂(本堂)内の千手観音坐像のすぐそばに納経所が設置されており、
直筆の御朱印を頂戴しました。
三十三間堂 情報
京都市東山区三十三間堂廻町657
TEL:075-561-0467
無休
拝観料 大人600円・高校中学400円・子供300円(※25名以上団体割引有)
拝観時間 4/1~11/15 8:30~17:00 11/16~3/31 9:00~16:00
(※但し、閉館30分前に受付終了)
納経所受付時間 4/1~11/15 8:30~17:00 11/16~3/31 9:00~16:00
初穂料 300円
公式ホームページ 蓮華王院 三十三間堂 (sanjusangendo.jp)
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そろそろ保管用ケースも用意しないとと思い検討中です!