続いては、神戸八社巡り三の地である三宮神社を目指します。
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三宮神社へ
JR・阪急・阪神各線三宮駅を通り過ぎて西に戻り、トアロードを南に下って西国街道との交差点に鎮座しているのが三宮神社です。
地図で確認すると、位置的には生田神社の真南といったところ。
しかし、残念ながら真っすぐ下ってくる道はありません。
周りをオフィスビルに取り囲まれる中、ちょっと異彩を放っている感じもある正面鳥居。
しかし、清潔そうな白い鳥居の外観はかえってオフィス街にマッチしている感もあります。
一宮神社、二宮神社に続く生田神社の八裔社にして、神戸八社巡り三柱目となります。
生田神社の八裔社については、下記ページをご参照ください。
一宮神社 神戸八社巡り一柱目は、三宮駅から徒歩10分足らずの好立地 – 関西御朱印 ブログ (kimikan.com)
二宮神社同様、この周辺の町名が三宮町であることは、この三宮神社由来によるものです。
拝殿の様子です。
到着時には娘さんを連れたお母さんがお詣りされてましたが、ご近所の人の様ですぐに立ち去られたのでボッチ状態になりました。
主祭神は、湍津姫命
湍津姫命は、一宮神社の主祭神である田心姫神同様、天照大御神と素戔嗚尊の誓約によって生まれた宗像三女神のお一人です。
天照大御神と素戔嗚尊の誓約については、コチラのページをご参照ください。
一宮神社 神戸八社巡り一柱目は、三宮駅から徒歩10分足らずの好立地 – 関西御朱印 ブログ (kimikan.com)
日本書紀では、福岡県宗像市に降臨され、宗像大社の中津宮に祀られたとされていますが、古事記では、同じ宗像大社でも辺津宮に祀られたとされています。
ちなみに、宗像大社ご自身は日本書紀説を取っている様です。
三宮神社の創建は不明ですが、一宮神社・二宮神社同様、神功皇后が三韓外征の帰途に生田神社を創建するにあたり参拝されたとされているので、かなり古い歴史を有しています。
湍津姫命は、水の神とされているので、古来より港町神戸では信仰が厚く、航海の安全と商売の繁栄を守る神として崇められてきました。
ところで、古来の三宮神社境内には古くから清水の湧き出る井戸があり、神戸の港に出入りする船は必ず三宮神社に参拝し、航海中の飲料水として持ち帰っていたそうです。
余談ですが、この三宮神社の宮司さんは世襲制であり、お名前の清水さんは、この清水から命名されたというお話です。
拝殿内の様子です。
結構、奧域が広く感じられますね。
三宮神社のパワースポット
拝殿前には、十二支方位石がありました。
お詣りしてから自分の生まれた干支の位置に立って写真を撮ると、御利益があるそうです。
しかし、知らなかったので普通に写真を撮ってしまいましたが私は午年生まれではありません。
隣なのが、逆に切ない…。
尚、注意書きには「…写真を撮って、御神符・おまもり等をお受けになると…」と書かれていましたので、何も購入しなかった場合はノーカウントかも知れません。
神戸事件
ところで、三宮神社は、神戸事件が勃発した地でもあります。
神戸事件とは、1868年に備前藩塀が隊列を横切ったフランス水兵を無礼な行為とし、槍でつき、負傷させてしまったために最終的には銃撃戦にまで発展した明治初の外交問題です。
最初は、槍で制止しようとしただけの様ですが、何分言葉が通じないゆえの悲劇ですね。
折しも、兵庫開港を祝って集まっていた神戸に領事館を置く列強諸国は、軍事防衛と称し、神戸市中心街を占拠、港に停泊中の日本の船を拿捕するという強硬手段が取られました。
後の初代内閣総理大臣伊藤博文も交渉に乗り出したものの、列強諸国の怒りは収まらず、最終的には、事件を起こした者が切腹することで一応の解決となりました。
これが現在でも外国人が日本人に対して持つ「ハラキリ」の印象付けとなった様です。
境内には、当時備前藩が応戦に使用したものと同時期の大砲が置かれています。
ちょっと写真が切れてしまっていますが、手水舎の背面はステンドグラスでした。
尚、神戸事件の看板を読みふけっていたためか、写真を撮り忘れましたが、境内には摂社として三宮稲荷と安高稲荷大明神の二社が祀られています。
御朱印
そして、御朱印と思ったら、受付時間は14:00~15:30。
時間は、13:00過ぎ、1時間何するかな~と思いながら、
最終的に、時間内に戻り、直筆御朱印を頂戴することができました。