神戸八社巡り二の地である二宮神社は、一宮神社から東方面に100mも無いくらいの位置に鎮座しています。
生田神社が、神功皇后が三韓外征の帰途に201年に創建されたというお話を書きましたが、創建に際し、現在の神戸市内に鎮座する天皇家縁の神々を祀る神社を参拝されたのが、生田神社の八裔社であり、その巡礼の順に番号がついているそうです。
生田神社の八裔社については、下記ページをご参照ください。
一宮神社 神戸八社巡り一柱目は、三宮駅から徒歩10分足らずの好立地 – 関西御朱印 ブログ (kimikan.com)
しかし、六宮神社は八宮神社の境内にあるのか、いずれ謎は解明できるのでしょうか?
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二宮神社到着
例によって例のごとく西側の入り口に到着しました。
ここから入って突き当りの左が拝殿になります。
朱塗りの立派な拝殿です。
主祭神は、正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命
天照大御神のご長男とされる神で、天照大御神の勅命により日本の支配を命じられたという大層神格の高い神様です。
お名前の由来は、「まさに勝つ、吾は必ず勝ちて負けること無し、勝ち進む速さは日の昇がごとし」だそうで、とんでもない強者・最強の勝負神様だった様です。
私など年代的に「死して屍拾う者無し」(大江戸捜査網)とか「速きこと風の如し」(風林火山)を連想してしまいました。
ちなみに、正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命は、御子である瓊瓊杵尊の天孫降臨を指揮したとされており、瓊瓊杵尊は、日向の国に降臨して朝廷の基礎を築きますので、正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命は、天照大御神と並び、皇室の始祖神ともいえる一面もお持ちです。
余談ですが、二宮町の町名もこの二宮神社に由来しており、一宮神社が北野天満神社に町名で負けたのに対し、勝ち運があるのは主祭神のお力かも知れませんね。
落ち着いた感じの拝殿内の様子です。
その御利益は、勝運はもちろんのこと、芸能、財運向上、受験、就職、結婚、安産と幅広く信仰されています。
尚、正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命は、「まさかつあかつかちはやびあめのおしほみみのみこと」とお読みするのですが、ご近所の方は親しみを込めて「まさかつさん」と親戚のオッちゃんの様にお読みしていらっしゃるそうです。
今回も阿形さんです。
境内に祀られている白龍大神を御祭神とする椋白龍社。
こちらの御利益は、大願成就、財運向上、水商売守護、疫病除け、開運方除とされています。
境内にはもう一社、倉稲魂命を御祭神とする二宮稲荷神社があるそうですが、拝殿内に祀られている様で、拝見することはできませんでした。
こちらの御利益は、商売繁盛、火災除け、芸能上達、縁結びとされています。
格式高き神社
明治時代には、旧葺合区内にあった全ての神社が二宮に合祀され、地域の総鎮守であったことを示す石碑。
現在は、時代の発展に合せ、合祀された神々もそれぞれの神社にお帰りになられています。
また、生田神社が水害で移転を余儀なくされた際に、生田の森に現在のお社を築かれる間、生田神社の御神体をお預かりし、お祀りされていたそうで、格式の高さが窺えます。
柄杓は撤去されていましたが、手水舎は営業中でした。
現在も残る戦火の跡
欅の御神木です。
上の方が黒く焦げているのは、戦時中に焼夷弾が二発当たったためだそうです。
戦火を耐えた強い生命力をお持ちの御神木です。
不勉強で存じ上げないのですが、境内に渡辺三笑子さんの歌碑がありました。
二宮神社縁の方でしょうか?
尚、献燈が傾いているのは私のi phoneのせいではないと思われますのであしからず。
御朱印
社務所にて、直筆の御朱印を頂戴しました。
最後は正面鳥居からお暇したのですが、写真ではわかりづらいかと思いますが、右側の足の部分に黒い穴が開いているのは、やはり戦時中に受けた機関銃の後だそうです。
こちらも崩れ落ちなかったのは、「まさかつさん」の強き勝負運の賜物かも知れません。
世の中が平和であることを願わずにはおられませんでした。
余談ですが、名前から想像できる通り、嵐ファンの女性が多数参拝に訪れる嵐の聖地の一つとなっている神社でもあります。
実際に、御守りも嵐のイメージカラーの5種が販売されおり、嵐に向けたメッセージが書き込まれた絵馬が多数ありますので、嵐(特に二宮くん)ファンの方は参拝必須の神社です!