前回訪問時は、四柱目となる四宮神社で終了してしまったので。改めて三宮に向かいました。
順に、一宮神社、二宮神社、三宮神社、四宮神社と参拝してきたので、それに続く生田神社の八裔社にして、神戸八社巡り五柱目となる五宮神社を目指しました。
五宮神社へ
生田神社の八裔社については、下記ページをご参照ください。
一宮神社 神戸八社巡り一柱目は、三宮駅から徒歩10分足らずの好立地 – 関西御朱印 ブログ (kimikan.com)
とにかく一気に暑くなってきたということもあって、この日は車で国道43号線を西に向かってひた走り、北上する経路で近くまでやって来たのですが、ナビ案内での最後の曲がり角はは、細い路地の上り坂。
嫌な予感しかしないので、大通りのコインパーキングに駐車して、徒歩で坂道を上ることとなりました。
結局、暑い…。
しかし、まあ殆ど近くまで来ていた様で、5分ほど坂道を上ると、
何とも風流な感じのする社名の入った石碑が出迎えてくださいました。
鳥居も無いので、コレは裏口だなと確信しつつ、そのまま石段を上り、境内に入らせていただきました。
祇園神社の境外摂社
入ってみると、意外にも無人の神社で、
社務所はありましたが、完全に休業状態でした。
もちろん、神職の方がいらっしゃる時もあるそうですが。
どうやら現在は西に500mほど行ったところに鎮座される祇園神社の境外摂社という扱いになっている様です。
創建
創建年代は不詳ですが、神功皇后が三韓征伐の帰途に生田神社を創建するにあたり、巡礼された一社であることから古くから、周辺の平野地域一帯の氏神様として祀られていたことがわかります。
拝殿と主祭神
拝殿の様子です。
後方の山の木々が美しい景観を醸し出して癒されるとともに、時折、心地よい風が吹き、厚さを和らげてくれます。
拝殿に祀られる主祭神は、天穂日命。
天照大御神と素戔嗚尊の誓約によって生まれた男神の一柱です。
天照大御神と素戔嗚尊の誓約については、コチラのページをご参照ください。
一宮神社 神戸八社巡り一柱目は、三宮駅から徒歩10分足らずの好立地 – 関西御朱印 ブログ (kimikan.com)
日本神話においては、天津神が国津神から葦原中国の国譲りを受けるにあたり、天照大御神の命により、平定を命じられ、出雲の大国主神の元に遣わされました。
しかし、大国主神と話す内に大国主神に心服し、そのまま出雲の国に住み着き、3年間高天原に戻らなかったとされます。
その後、他の使者たちが新たに遣わされ、葦原中国の平定に成功すると、そのまま大国主神に仕える様に命じられ、国土発展と経営に努められたそうです。
後に、出雲国の天穂日神社からこの地に勧請され、五宮神社の主祭神として祀られました。
開発や厄除けに御神徳の高い神とされているので、何か新しいことにチャレンジしてみる際や新しい自分を見つけたいときに参拝すると御利益を得られると信仰されています。
拝殿内に干支絵馬がありましたが、ちょっと人面寅の様な風貌ですね。
狛犬(阿形さん)です。
境内末社
境内末社である岩松稲荷社の拝殿です。
猿田彦命を祀る猿田彦社です。
扁額の文字が消えてしまっていますが、大国主神を祀る拝殿です。
阪神淡路大震災犠牲者慰霊碑
境内には、阪神淡路大震災で亡くなられた方々の慰霊碑が建立されていました。
写真ではわかりづらいですが、「あの日、あの人たちを忘れない」という碑文が刻まれています。
現在でも、震災当日の1月17日に、犠牲になられた方を弔うとともに、震災の記憶を新たにするために慰霊祭が行われているそうです。
御朱印
拝殿前に、
田舎道の直売野菜売り場方式の書置き御朱印が置かれていました。
しかし、せっかくなので、この後、紙に記載してある祇園神社に参拝し、直筆の御朱印を頂戴しました。
最後は、南側の正面鳥居からお暇しました。