陽春寺・大廣寺と参拝し、五月山第二駐車場に戻ってまいりました。
で、伊居太神社が近くにあるはずというのは知っていたので、改めてグーグルナビで検索すると、確かにすぐ近所ですが、戻らずに真っすぐ坂を下るのが正解だった…。(;>ω<)/
伊居太神社へ
どうやら、この駐車場に隣接する五月山公園の下にある様ですが、コレを通り抜けるルートは危険と察知し、遠回りながら元来た道を戻り、坂道を下って右折すると、
参道に到着しました。(·∀·)b
「やっぱ、また上るのね」とは思いつつ、段差が低いので、割とすいすいと。
一の鳥居と参道
一の鳥居の様子ですが、境内まではもう少し参道が続きます。
稲荷社
参道の途中、右手に稲荷社がありました。
扁額は、稲荷大神となっていました。
厳島社
たぶん以前は池があったんだろうと思われる厳島社。
猪名津彦神社
一方の参道の左側には、猪名津彦神社がありました。
ここで、猪名津彦大明神と称されているのは、阿知使主・都加使主父子のことで、伊居太神社の創建に関わる人物です。
神門
神門が見えてきました。
ところで、鳥居と神門の違いって何?と調べてみると、鳥居は「ここから先は神の領域ですよ」と示すもので、現世と神域の境界であり、「結界」としての役割を果たすもので、神門は、寺院を護る金剛力士像が安置されている仁王門同様、神社を守護する門で、多くの場合「随身門」と言って都等で皇族や貴族に付き従って警護する「随身」と言われる人たちを「門守神」として安置されているそうです。
ということで、
神門の左右に安置されていた随身の方々です。
創建
応神天皇の時代(270年~310年)に、機織・縫製技術を得るために呉の国に派遣された阿知使主・都加使主父子が呉王に乞い、呉服媛・穴織媛・兄媛・弟媛の裁工女である四姉妹を連れ帰り、内、呉服媛・穴織媛の二人が池田の地に迎え入れられました。
この二媛の教えにより、天下の婦女が裁縫技術・機織技術・四季の衣服・上下の服装等を学び、日本の衣服の技術は大きく進展を果たしたので、その効により天皇は宮中に縫殿寮と縫部司縫女部を設け、二媛を祀られたといいます。
二媛は、一室に籠り、ひたすらに機織と裁縫に従事し、百余歳の高齢に至るまで我が国の文化の興隆に貢献されました。
そして仁徳天皇の時代、388年に穴織媛が亡くなられたので、その翌年に穴織媛の功績を称え、仁徳天皇がこの地に穴織媛を祀る神社を創建したとされており、池田市内では最古の神社とされています。
尚、785年に桓武天皇の勅命により、社殿を新たに、応神天皇・仁徳天皇も併せて祀られることとなりました。
ちなみに呉服媛は「くれはひめ」、穴織媛は「あやはひめ」と読み、別に「綾織媛」とも表記されるそうなので、このあたりの地名「綾羽」の由来ではないかと思われます。
ついでと言っては何ですが、伊居太神社は「いけだじんじゃ」と読みます。
しかし、池田神社じゃダメなんですか?(·∀·)
拝殿(舞殿)
山門を潜ると、拝殿(舞殿)があります。
こうして見ると、結構広めですね。
中門と主祭神
拝殿が手前なので中門からの参拝となりますが、木目から、
本殿の様子も窺えました。(·∀·)b
祀られる主祭神は、前述の穴織大明神・応神天皇・仁徳天皇の三柱。
1579年に織田信長と尼崎のろくでなし:荒木村重との有岡城の戦いにおいて社殿は全焼しており、現在の社殿は1604年に豊臣秀頼により再建されたものです。
境内社
両皇大神宮
右に天照皇太神宮、左に豊受皇太神宮を祀る両皇大神宮は伊勢社とも呼ばれています。
松尾社
松尾大明神を祀る松尾社。
国常立尊社
国常立尊を祀る国常立尊社。
住吉社
住吉大明神を祀る住吉社。
祭器庫
祭器庫と思われる建物ですが、
御神輿は、お隣のコチラの建物に納められていました。
頼光松
源頼光お手植えの松が頼光松として祀られています。
御朱印
コチラの社務所で、
直筆の御朱印を頂戴しました。(·∀·)b
あ、そう言えば、五月山公園への道は通行止めということで危険な予感は当たりでした。
伊居太神社 情報 by 関西御朱印 ブログ
大阪府池田市綾羽2-4-5
TEL:072-751-4652
無休
参拝料 無料
参拝時間 24時間可能
社務所受付時間 9:00~17:00
初穂料 500円
公式ホームページ 穴織宮 伊居太神社 公式サイト (ikeda-jinjya.jp)
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