六波羅蜜寺へ
さて、参拝に出かけようと思ったら車が無い!(·∀·)
まぁ、それは単に車検に出しただけなんですが、久しぶりの電車での参拝ということで、京都の西国三十三所霊場第十七番札所の六波羅蜜寺に行ってみることにしました。
JR・京阪電車を乗り継いで、清水五条駅から10分ほどで到着です。
看板が歩道にはみ出してはいけない規制があるのか、壁に寺名が書かれていました。
山門は設けられておらず、この日は閉まっていましたが、本堂に直結するコチラが正規の門の様です。
創建
創建年代は不詳ですが、日本における浄土教・念仏信仰の先駆者とされ、また踊り念仏の起源とされる市聖空也上人が、平安時代中期の951年に造立した十一面観音を本尊とする道場に由来し、当初は西光寺と称したとされています。
当時、京都に蔓延した疫病を鎮めるため、空也上人はこの十一面観音像を車に乗せて引きながら歩き、念仏を唱え、病人に茶を振舞って多くの人々を救ったとされます。(このお茶は村上天皇も服したことから「皇服茶」として現在に伝わり、正月三ヶ日に授与されているそうです。)
963年には当時、遺体の捨て場であり、葬送場であった鴨川岸に600名の僧を集めて大規模な大般若経供養会を行い、落慶供養を行ったことが空也上人の祈願文として残っています。
空也上人は鞍馬山に閑居後、鹿を心の友としていましたが、定盛なる漁師にその鹿が射殺されたと知ると、大変悲しみ、その皮と角を請い受け、皮を衣とし、角を杖頭につけて生涯わが身から離さなかったと言われ、定盛も自身の殺生を悔いて上人の弟子となり、京中を巡行して衆生の能化に努めたとされます。
空也上人の死後、977年に比叡山延暦寺の僧であった中信が中興し、六波羅蜜寺と改称し、天台宗に属する天台別院となります。
また、平安時代末期には平正盛が付近に阿弥陀堂(現在の常光院)を建立して以来、平家との繋がりが深くなり、平清盛によって寺院内外に5200棟余りの平家の屋敷群ができますが、平家の都落ちの際に本堂のみを残し焼失し、その焼け落ちた一角に、後に鎌倉幕府による六波羅探題が設置されます。
以降も度々焼失しながら、江戸時代までは大伽藍を有しましたが、明治時代の廃仏毀釈によって大幅に寺域が縮小され、現在は民家に囲まれた境内は狭くなっています。
ところで、六波羅蜜寺のホームページでも書かれている様に、空也上人は醍醐天皇の落胤(第二皇子)とする説もありますが、本人が生前に出生について語ることはなく、真偽は不明とされています。
本堂と御本尊
現在の本堂は、貞治年間の1363年に再建され、文六年間(1593年~1596年)に豊臣秀吉によって向拝が附設されたもので、国指定重要文化財になっています。
本殿に掲げられた扁額です。
御本尊は、951年に空也上人が創建した西光寺の本尊である木造十一面観音立像ですが、秘仏のため、本堂中央の厨子に安置され、12年に1度の辰年のみに開帳されます。
像高258cmの巨象ですが、頭・体の根幹部を一材から彫り出す一木造で、平安前期から平安後期の和様彫刻に至る過渡期を代表する作例として国宝に指定されています。
しかし、258cmの像を車に乗せて引いて歩いたというのは大変な作業ですね。
令和館
境内西端に位置する令和館は、その名の通り昨年5月にオープンしたばかりの宝物館で、国指定重要文化財14点を含む数々の寺宝が収容されています。
まぁ、有料(600円)だったので入らなかったんですけど…。(·∀·)
しかし、写真で見たことのある方もいらっしゃるかも知れませんが、念仏を唱えながら歩く空也上人の姿を口から六体の阿弥陀仏の小像を吐き出すことで表現した空也上人像は、ちょっと拝見してみたかった気がします。(観たことあるというウチの嫁は「ベロ~ン」と称します。)
ちなみに、空也上人像は鎌倉時代の運慶の四男である康勝の作ですが、父である運慶・嫡男である湛慶坐像も令和館に展示されています。
六波羅蜜寺 情報 by 関西御朱印 ブログ
京都市東山区轆轤町81-1 六波羅蜜寺
TEL:075-561-6980
無休
拝観料 無料(※令和館 大人 600円 学生 500円 小学生 400円 ※団体割引有)
拝観時間 8:00~17:00(※令和館 8:30~16:45 ※受付終了 16:30)
納経所受付時間 8:00~17:00
初穂料 300円(※空也上人特別御朱印 500円)
公式ホームページ 補陀洛山 六波羅蜜寺 (rokuhara.or.jp)
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