かくしてドキドキしながら誤って駐車した月極駐車場に戻った次第ですが、土曜日だったためかお出かけのお車が多く、停めたままの状態で無事保護することができました。(·∀·)b
Contents
- 1 勝竜寺城跡公園へ
- 1.1 南門跡の枡形と大手橋
- 1.2 築城と歴史
- 1.3 管理棟
- 1.4 勝竜寺城跡公園内
- 1.5 細川忠興・玉(ガラシャ)像
- 1.6 御城印
- 1.7 勝竜寺城跡公園 情報 by 関西御朱印 ブログ
勝竜寺城跡公園へ
勝竜寺城跡公園は、目と鼻の先だったのですが、さすがにそのまま駐車しておくわけにもいかず、改めて駐車場を探すと意外にあっさり公園の無料駐車場に遭遇できました。
あまり大きくはないので、私の後から来た方は、順番待ちでしたけど。(·∀·)
南門跡の枡形と大手橋
かつては、ここに南門があり、この大手橋を通って、
時の城主である藤川義孝の息子である忠興に明智光秀の三女である玉(後の細川ガラシャ)がお輿入れしたと思われます。
築城と歴史
勝竜寺城は、京都盆地の南西部に位置し、西国街道と久我畷の陸上交通を抑えるとともに、淀川水系にもほど近い交通の要衝に立地しています。
1470年に西軍の畠山義就が寺院である勝竜寺を陣域とした様に、応仁・文明の乱中に勝竜寺が、たびたび臨時的な砦と利用されるに連れ、次第に恒常的な城郭として整備されていきます。
1571年には織田信長の命を受けた細川藤孝により大きく改造され、藤孝在城期の勝竜寺域は、西岡の有力国人である神足氏の神足域を取り込み形で築かれ、小畑川・犬川に挟まれた神足・勝竜寺の集落を含む城郭となっています。
また、1988年の発掘調査により、主郭部で石垣が築造されていたことや建物の多くに礎石が用いられていること、瓦葺きであったことが判明し、その後の城郭の標準となる諸要素を備えた先駆的な城郭の一つとして評価されています。
また、1578年には藤孝の子息である忠興と明智光秀の三女である玉の婚礼が行われ、1582年の山崎の戦いで羽柴秀吉に敗れた光秀が最後に籠った城としても知られています。
管理棟
何か鳥が飛んで来たと思ったら、久々に豪快に右肩下がりになった…。(·∀·)
ところで、気分的には城と呼びたいところですが、あくまで正式名称は管理棟です。
1Fが休憩室、2Fが展示コーナーになっており、展望台はありません。
2F 展示コーナー
勝竜寺城に関わり深い四人と城の歴史が、
こんな感じでイラストパネルにより紹介されており、勝竜寺城跡発掘時の写真や出土品も展示され、映像コーナーもあります。
しかし、映像コーナーには妙に熱心なお爺ちゃんが長居していたので座りづらくて観れませんでした…。(·∀·)
勝竜寺城跡公園内
管理棟を出て、公園内をブラブラ散策してみました。
尚、希望すると無料でボランティアの方が案内してくださいます。
北門跡礎石
ガイドさんの話を盗み聞きすると、この平らな石が北門礎石跡だそうです。
石垣
勘違いして、他の物を撮ってしまい、写真が無いのですが、右手奥に見えるのが、自然石を積み上げた当時としては最新技術を用いた石垣です。
外壁
一旦、外に出て、外から見た北側の外壁。
鉄砲で銃撃するための窓がたくさんあります。
北東隅櫓
園内の北東隅に設けられた櫓ですが、現在は休憩所ですね。
少し高台だったので、ココから管理棟を撮影してみました。
細川忠興・玉(ガラシャ)像
美男美女と伝わる細川忠興・玉夫妻は、共に16歳で結婚し、細川家が丹後に移封されるまで勝竜寺城で二年間仲睦まじく過ごし、一男一女を設けました。
尚、山崎の戦いで明智光秀が羽柴秀吉に敗れた最大の要因は、細川藤孝・忠興父子が信長の喪に服すとして剃髪し、光秀の挙兵要請に応えなかったこととされますが、その光秀が最後に逃げ込んだのが勝竜寺城だったというのは、すごい因縁を感じますね。
ガラシャおもかげの水
玉が勝竜寺城で過ごした日々、水面にその姿を映し出したであろうというロマンにちなんで名づけられた地下水100%の水道水です。
「ご自由にお飲みください」とありましたが、ちょっとコロナ禍では…。
管理棟近影
園内を一周してきて撮ったこの一枚が一番お城っぽく見えますね。
御城印
管理棟1Fで販売していた
通常御城印(細川ガラシャ)と明智光秀版の書置き御城印を頂戴しました。
他に、細川藤孝書状版がありましたが、紋がガラシャ版と同じだったので。
勝竜寺城跡公園 情報 by 関西御朱印 ブログ
京都府長岡京市勝竜寺13-1
TEL:075-952-1146
休園日 年末年始(12月28日~1月4日)
入園料 無料
開園時間 4~10月 9:00~18:00 11~3月 9:00~17:00
売店営業時間 4~10月 9:00~18:00 11~3月 9:00~17:00
御城印料 300円
公式ホームページ 勝竜寺城公園-明智光秀“最期の城”/細川ガラシャ“輿入れの城” | 長岡京市公式ホームページ (nagaokakyo.lg.jp)
(長岡京市)
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勝竜寺城の御城印と細川家の九曜紋と明智家の桔梗紋をデザインした竹箸セット。
細川忠興と玉が幸福な新婚生活を送った城にちなみ、ご夫婦やカップル、プレゼントにもお使いいただけます。
台紙には、長岡京市在住の手描き友禅作家が、西山に沈む夕日を背に勝龍寺城へ向かう玉(細川ガラシャ)の輿入れ行列と、玉と侍女・清原マリアの仲睦まじい様子を描いています。