Contents
北野青龍神社へ
次なる目的地は、3月には参拝できなかった北野青龍神社です。
生田神社から北西の方向に約15~20分ほどなので、楽勝かと思って歩き始めました。
しかし、三宮の街特有の登り坂が延々と続き、この日の暑さもあって、かなりの疲労感に襲われながら、
ようやく前方に看板が見えましたが、最後の一息の勾配が、中山競馬場の直線急坂を思い起こさせるくらいの感じでした。
まあ、さらに奥に登らず、看板のところを左折したら無事に到着できたので一安心。
ちなみに、この写真がほぼ北野青龍神社の全景というくらいの大変小さな神社です。
位置づけとしては、北野天満神社の境外摂社であって、普段は無人の様ですが、御祈祷等が行われている場合もあるそうです。
暑さと坂の疲労で乾ききった喉を潤そうと、水を飲もうにも手水舎は休止中でした。
まあ、コロナ禍でもありますし、さすがに飲まないですけど…。
鳥居から拝殿を見た様子。
扁額を見ると、北野青龍神社と三森稲荷神社が併記されており、合祀されている様です。
拝殿の中には、小さな社殿が2つありましたので、両神社のものと思われます。
創建と御祭神
北野青龍神社の御祭神は五十猛神。
由緒書きによると、創建は不詳ですが、1868年4月の神社御改書上帳にその名が記されていることから、それ以前に創建されたものということがわかります。
社伝によると、元々は旧北野村の西の町の守り神として祀られたそうです。
また、言い伝えでは、当時の西の町では火災が多く発生していたため、その守り神となる様、村中の人々がこの地に社殿を建て、鎮火の神を祀られたと言われています。
御祭神の五十猛神は、日本神話に登場する神で、素戔嗚尊の子と言われています。
一般的には林業の神とされていますが、土の船を作り海を渡ったことから、造船、航海安全、大漁の神として信仰され、商売繁盛、開運招福、悪疫退散、厄除け等の御神徳もあるそうですが、こちらでの由緒書きには、火災封じや水害封じも追記されていますね。
火災封じは先述の創建の由来からわかりますが、水害封じというのは山上に鎮座されていることから大雨による土砂崩れを防ぐ意味合いのものでしょうか?
三森稲荷神社
一方の三森稲荷神社の御祭神は稲魂倉神。
由緒書きによると、同じく創建は不詳ですが、北野青龍神社の摂社として位置づけられていることから、北野青龍神社より後に創建されたと記されています。
御祭神の稲魂倉神は、一般的に倉稲魂命と表記される日本神話に登場する穀物の神と同一神だと思われます。
御神徳は五穀豊穣、商売繁盛、病気平癒・健康祈願、技芸・芸能、金運上昇とされていますが、元来は稲の精霊が神格化したものとされているので、農業社会から工業社会へと社会が変化するにつれて、御利益も変化してきたのではないでしょうか。
尚、現在の拝殿等は、2013年10月に大修復が行われた際に建築されたものでSUMOで検索すると築10年未満の物件に該当します。
拝殿の右側には、吉平大善神のお社がありました。
吉平大善神については、設置の由来等一切不明ですが、御祭神と何らかの関係をお持ちなのでしょうか?
以上が北野青龍神社の全貌という感じで、ホントに小さな神社で、この日はお詣りに訪れる方をお見かけすることもありませんでしたが、山上のキレイな空気を味わいながら、ゆったりと過ごすのも良いのではないのでしょうか。
しかし、残念ながら腰掛けるベンチはありません。
社務所も設置されていませんので、本社である北野天満神社が代行されています。
御朱印
北野青龍神社の御朱印は、北野天満神社の社務所で直筆御朱印を頂戴しました。
[…] 北野青龍神社 シンプルな全貌で山上に鎮座する北野天満神社の境外摂社 &#… […]