大廣寺へ
陽春寺を出て、
後、わずかの石段を上った先に見える石垣が大廣寺です。
山門
コチラが大廣寺の山門で、重厚感を感じさせられる雰囲気で、大阪府指定有形文化財。
ところで、この山門の裏側には、
やはり、五月山には龍が棲んでいたという伝説を裏付ける白龍が描かれています。(·∀·)b
尚、この白龍さんですが、昔から山門に棲み、夜になると下りてきて弁天池の水をバシャバシャと飲むため、「煩くて眠れない」と怒った和尚が、白竜さんが寝てる昼間に眼も含めて真っ白く塗りつぶしたため、下りれなくなり山門に留まっているという逸話があります。
創建
寺伝によると、1395年に当時の池田城主である池田充正が創建し、天巌禅師が開基したとされ、文明年間(1469年~1487年)に池田充正が本堂を修築したとされています。
この間が財政的に最も安定していた時期で、塔頭が36院あった他、1480年には五月山に「望海亭」なる小さな別邸を建て、多くの詩人・文人・墨客が訪れ、風月・風光を楽しんだと言われ、豊臣秀吉も訪れ、愛宕神社の傍らの湧き水で茶を嗜んだと言われています。
しかし、その後は荒廃を繰り返し、尼崎のろくでなし:荒木村重が池田城の実権を握ると、伊丹に移築されますが、慶長年間に池田知正が中興し、1694年に当時の住職が本堂等を再建、子院も招致し、江戸時代中期には40余りの子院を設け、繁栄を誇ったそうですが、現存するのは陽春寺のみとなっています。
本堂と御本尊
1694年に再建された本堂も大阪府指定有形文化財。
御本尊として釈迦如来像、脇仏として文殊菩薩像・普賢菩薩像が安置されています。
梵鐘
見た目から、多宝塔かと想像しましたが梵鐘でした。(·∀·)
1609年に池田知正の弟である池田光重が知正とその養子である池田三九郎(光重の長男)の菩提を弔うために奉納したもので、池田市内では最も古い梵鐘となります。
血天井
どこの玄関を指すのか定かではなく、現物も確認できませんでしたが、大廣寺の某所の玄関の天井には、1507年の細川高国と細川澄元の家督相続争いで、澄元に味方した池田城六代城主である池田貞正が、高国軍に攻められ落城した末に大廣寺で切腹した際の板が張られており、「血天井」と呼ばれています。
牡丹花肖柏の碑
1804年に、江戸時代の儒学者:田中桐江氏により本堂前に建立された牡丹花肖柏遺愛碑。
牡丹花肖柏とは、室町時代中期の連歌師・歌人で花と歌と酒をこよなく愛した粋な文化人で、1507年に京都から大廣寺の子院の一つであった泉福庵に移り住み、夢庵と名付けた草庵を結び、12年間に渡り、風雅三昧の日々を過ごしたと言われています。
この際に、池田充正の次代の正棟が肖柏を庇護し、肖柏を通じて連歌に親しみ、池田一門に連歌流行をもたらし、「連歌の達人」と評されました。
池田氏の菩提寺である大廣寺には、肖柏生誕550年記念碑も見受けられます。
その他境内
弁天社
記載は無かったのですが、山門の龍が夜な夜な飲んだという弁天池の水がこの池だとすると弁天社なのかと想像。
鯉はいますが、蓋しちゃったら塗りつぶさなくても良かったんじゃね?(·∀·)
選佛場
一般的な修行僧が坐禅修行する場で良いのでしょうか?
納骨堂
納骨堂は、モダンな造りになっています。
墓所
墓所には立ち入りませんでしたが、阪急電鉄の創業者である小林一三氏ご夫妻のお墓や先ほど登場した田中桐江氏の墓碑があるそうです。
モダンな参道
石段から上らすとも、五月山の方からも参拝可能の様です。
ナゾ
呪術廻戦とかに出てきそうなもの。(·∀·)
すみません。ちょっとどなた様だかわかりません…。
が、横に小さなお地蔵様がいらっしゃいました。
御朱印
コチラのインターホンを押して御朱印をお願いしたのですが、後から考えると、コレって庫裡ですかね?
ご住職ご不在ということで書置きの御朱印を頂戴しました。
何か日付、間違えましたか?(·∀·)
大廣寺 情報 by 関西御朱印 ブログ
大阪府池田市綾羽2-5-16
TEL:072-751-3433
無休
拝観料 無料
拝観時間 日中
寺務所受付時間 日中(※お留守の場合あり)
初穂料 300円
公式ホームページ 池田市仏教会 » 寺院一覧 » 大廣寺 (ikedashi-bukkyo.org)
(池田市仏教会)
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最近、我が家がハマっている北海道産サロベツ牛乳。
甘みがあってスッキリして美味しいので、カフェオレのつもりがついついミルクオレになっております。(·∀·)
扱っているお店が限られているのが難点なんですけど…。
さすがに通販で牛乳は無いので、その牛乳を使用したご当地ラーメンをご紹介します!