総距離2.6Kmと日本一長いアーケード型商店街で知られる天神橋筋商店街。
1丁目~6丁目まであるこの商店街の2丁目に鎮座する大阪天満宮です。

大阪天満宮へ
この日は、なぜか6丁目から歩いてきたので、2Kmくらいは歩いたでしょうか。
この参詣道の提灯がのところを東に入ると大阪天満宮の北側入口になります。

入口手前には、上方落語協会の天満天神繁昌亭があり、この日も寄席が行われていました。

大阪天満宮の北側入口。
創建
650年に孝徳天皇が難波長柄豊崎宮を造営した際、その西北に守護神として大将軍社を創建されたのが大阪天満宮の創始となります。

大将軍社が創建されたことから、この地は天神の森と呼ばれる様になり、現在の南森町、北森町の名称の由来となっています。
菅原道真公と大阪天満宮
そして、大宰府に左遷された菅原道真公がここを訪れ、旅の安全を祈願されました。
確か、露天神社や走水神社でも触れたかと思いますが、「菅原道真公の左遷」についても機会があれば書いてみたいと思います。
露天神社(お初天神)につきましては、コチラのページをご参照ください。
露天神社 お初天神として知られる曾根崎心中の舞台は現在では恋人の聖地 – 関西御朱印 ブログ (kimikan.com)
走水神社につきましては、コチラのページをご参照ください。
走水神社 神戸南京町近くの神社は菅原道真公の色合い濃い書道の神 – 関西御朱印 ブログ (kimikan.com)
その後、903年に菅原道真公は大宰府で亡くなりますが、949年に大将軍社の前に7本の松が生え、夜毎にその梢を光らせたそうです。

この話を聞いた村上天皇の勅命によって大将軍社の地に天満宮が建立された次第です。
従って、主祭神は菅原道真公です。
上記の大将軍社は、摂社として境内の北西に移転し祀られています。
この本殿は、享保の大火や大塩平八郎の乱の際に2度全焼していますが、1843年に再建され、大阪大空襲では幸運にも被害を受けず、現在に至っています。
私の中では、日本を代表する暴れん坊の一人、大塩平八郎ですが、この近くに墓所があるということで、これまた機会があれば行ってみたいところです。
干支絵馬

干支絵馬はここを一周しながら12枚並べられている様です。
さざれ石

国歌「君が代」に登場するさざれ石。
さざれ石は、多数ありますので、このさざれ石が国歌になったというわけではありません。
菅原廊下

菅原道真公について人形で語る菅家廊下。
短いですが、結構興味深く拝見させていただきました。
ところで、名前の由来は菅原道真公が私塾を開講した際に聴講生たちが、その廊下にまで溢れかえったという様からつけられたものと思われます。
登龍門

合格祈願や就職祈願のためにこの登龍門を通り抜けることができる日は。1年で10日ほどしか設定されていないので、受験生の方等で「是非」という方は、事前に情報確認必須です。
まず、授与所で初穂料3,000円の合格守りを購入すると、その中に本殿参拝券と通り抜け可能な日時が記された紙が入っています。
時期的には、1~3月に限られる様なので、初詣の際に購入されてはいかがでしょうか?
境内摂社



広い境内には、写真の十二社、老松神社、蛭子遷殿の他、多数の末社が祀られています。
表大門

コチラが、表大門。
なぜ、いつも裏口から入るのだろう…?

2月に参拝した際に頂戴した直筆の御朱印。
全然知らなかったのですが、今回の参拝は5月25日で…

25日限定御朱印帳があったので、カッコいいと思ってついつい購入してしまいました。

こちらの直筆御朱印には、鳳凰がスタンプされていました。