忉利天上寺へ
さて、綱敷天満宮の後は、本日の最大の目的地である新西国三十三所霊場第二十二番札所の摩耶山忉利天上寺を目指したのですが、コレが大失敗でして。
カーナビにセットしてから、何気なく走り出して、しばらくしてカーナビを見たら、1時間近くのドライブで、「へ?」となりました。
実のところ、摩耶山という名で、阪神高速の摩耶インター周辺をイメージしていたのですが、まぁ六甲山を上る上るで、気が付けば久方ぶりに六甲山牧場まで来てしまいまして、そこで右折して、しばらく進んだところでようやく有料駐車場に辿り着いた次第です。
いや、「摩耶山」で気付けや!というご意見もおありでしょうが、山号って普通についてるので、リアル「摩耶山」とは全く思っておりませんでした。
西山門
入口はこんな感じで、少し進んだ石段の上に見えるのが西山門です。
ところで、忉利天上寺は、新西国三十三所霊場第二十二番札所の他にも、関西花の寺第十番霊場や西国愛染明王第四番霊場等、九つの札所になっているので、巡礼されている方、なかなか来るのが大変です。
しかし、愛染明王っていらっしゃったかな??と記憶にない…。
入口を入ると、「孝徳天皇勅願寺」の石碑が建っていました。
孝徳天皇は、日本史上初の元号である「大化」を定める等、645年の「大化の改新」を行った第三十六代天皇でいらっしゃいます。
で、その上に聳え立つのは「神戸市市民の木」に指定された大杉です。
下から見上げた西山門です。
この石段より、西山門を潜ってからの石段の方が、段差が高くて厳しかったイメージです。
仁王門ではなかったことに寂しさを感じつつ、西山門を潜って境内参道に入ります。
参道
天竺堂
西山門を潜って、すぐ左側にある天竺堂には、1979年に建立されたもので、インドから贈られた総大理石の摩耶夫人像が祀られています。
ガラス越しですが、摩耶夫人を撮影させていただきました。
ところで、摩耶夫人とは誰かというと、お釈迦様のお母様であり、仏母とされる方です。
漱水舎(手水舎)
忉利天上寺は、標高約700mの摩耶山山頂付近にあるため、とにかく寒いのであります。
手水舎前には、雪も少々残っていました。
そもそも、手水鉢が凍っております。
龍の彫刻は見事ですが、水は出ていませんでした。(コレは、寒さのせいではないと思いますが。)
軍艦摩耶之碑
ココ摩耶山に因んで名付けられた日本海軍の重巡洋艦である摩耶は、1932年に生まれ、1944年にレイテ沖海戦で撃沈されています。
石段
忉利天上寺のホームページによると、春はウグイス、夏はホトトギス、秋はヒグラシの鳴き声が響き渡り、参道脇に並ぶモミジは、初夏には新緑、晩秋には紅葉で目を楽しませてくれるそうですが、冬はどうした!?
創建
大化の改新の翌年646年に、孝徳天皇の勅願によりインドから渡来した伝説的な高僧である法道仙人が、お釈迦様自らが感成されたとされる秘仏十一面観音を中国を経て日本に伝来し、御本尊として祀り、大阪一円及び四周に開けた八州の守護仏とされたのが始まりとされています。
後に、弘法大師が唐に留学された折に、当時中国で女人守護の御仏として崇拝されていた梁の武帝自作の香木造りの仏母摩耶夫人像を請来し、忉利天上寺に奉安したことで、山名を「仏母摩耶山」とし、寺名を摩耶夫人が昇天された忉利天に因み、「忉利天上寺」とされました。
以降、花山天皇や正親町天皇の御願寺、徳川第三代将軍徳川家光公により、摂津国の鎮護寺(護国寺)に選定される等、大いに栄え、最盛期には3000人を超える僧を擁しました。
しかし、1976年に賽銭泥棒による放火に遭い、七堂伽藍が全焼・倒壊し、北方約1kmの現在地に移転再建されています。
尚、旧境内は摩耶山歴史公園として整備されており、焼け残った仁王門も残されているそうなので機会があれば一度見に行ってみたいと思います。
ただ、旧忉利天上寺周辺には、ケーブルカーや遊園地・土産物屋等があり、賑わっていたものの旧忉利天上寺全焼により、客足が途絶え一部を残して全て廃業に追い込まれたとのことで、その頃の姿を見てみたかった思いに駆られます…。
忉利天上寺 情報 by 関西御朱印 ブログ
兵庫県神戸市灘区摩耶山町2-12
TEL:078-861-2684
無休
拝観料 無料
拝観時間 9:00~17:00
納経所受付時間 9:00~17:00
初穂料 300円
公式ホームページ 摩耶山天上寺 (mayasan-tenjoji.jp)
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