午前中、車でお出かけした日、せっかくなので、近めの神社を参拝して帰ろうと思い立ったのが、隣接しているけど未開の地である豊中市。
昔、蛍池の駅前の雀荘に入り浸ってましたが、豊中市自体に殆どご縁がありません。
ということで、ネットで検索してより近めの服部天神宮に行ってみることにしました。
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服部天神宮へ
出先からでしたが、阪神高速池田線の下を北上し、国道176号線に入ると間もなくなので、20分走ったかどうかくらいで到着。
阪急電車宝塚線服部店神宮駅のそばなので、ちょっと人も多く、走りづらい中、南門から入り、境内に駐車することができました。
改めて、国道176号線沿いの入り口に行ってみると、服部天神宮って「足の神様」だったんですね。
ちっとも存じ上げず、改めて豊中音痴を自覚した次第です。
創建
正確な年代は不詳ですが、弁恭天皇の時代(412~453年)に渡来人の集団である秦氏が織部司の命を受けて、この地を服部連の本拠とした際に、医薬・病気平癒・健康の神である外来神の少彦名命を祀る小さな祠を建立したのが始まりとされています。
菅原道真公
901年、大宰府に左遷された菅原道真公が認知に赴く途中で、この地に差し掛かった際に、持病の脚気が悪化し、一歩も動けなくなりました。
実は783年にも、左大臣を務めた藤原魚名公が大宰府に左遷されており、任地に赴く途中にこの地で病没するということもありました。
菅原道真公は里人の勧めに従い、病気平癒の神である少彦名命を祀る祠と藤原魚名公を祀る五輪塔に祈念したところ、見る間に健康を取り戻し、無事に大宰府に辿り着くことができたと言い伝えられています。
拝殿と主祭神
拝殿の様子です。
拝殿内本殿の様子です。 これらの社殿は、菅原道真公没後に、天神信仰の高まりを受け、菅原道真公を合祀することとなり、新たに建立されたものです。
従って、主祭神として、由緒からの少彦名命と菅原道真公が祀られています。

豊中えびす社
境内に祀られる豊中えびす社の様子です。
この豊中えびす社は、服部天神宮の宮司さんが祭典を奉仕していた雲雀丘花屋敷のサントリー創始者である鳥居氏の邸宅内にあった繁盛稲荷社を邸宅の建て替えを機に譲り受けたものだそうです。
「お足」=「お金」という意味もあることから、西宮神社よりえびす様の御心霊を勧請し、祀られています。
元々は「服部えびす」という名称でしたが、2003年に「豊中えびす」と改称し、「大阪のえべっさん」として35万人もの参詣者が訪れるえびす祭りが開催されています。
ところで、豊中えびす社の裏には、「たたき板」があり、「えべっさんたのんまっせ」と商売繁盛を祈願する習わしがあるそうなので、私も叩いときました。
境内末社
衣食住の守護神である宇迦之御魂神を祀る初酉稲荷大明神。 江戸時代初期から境内に鎮座されており、1977年には菅原道真公御神退1075年を記念し、社殿の造営とともに、伏見稲荷大社より十二支稲荷の御神霊を勧請しています。
祖霊社・招魂社
1897年に大阪博物場に建てられた能舞台が、1927年に大阪天満宮に移築され、更に1977年に服部住吉神社に移築されました。
その際、同舞台の鏡の間を服部天神宮に移築して祖霊社とされたものです。 中央に藤原魚名公の墓碑、右に祖霊社、左に招魂社が祀られています。
草履堂
「足の神様」ということで、多数の方がお詣りに来られ、病気が完治した際には御礼参り来られる方も多いそうです。
その方々が、奉納した新しい草履や絵馬等が祀られています。
足踏み石祈願台座
履物を脱いで、足の神様が祀られる本殿委向かい拝礼した上で、祈願台座に座り、心を整えて願い事をすると願いが叶うと言われています。
しかし、写真ではわかりづらいかも知れませんが、台座の足下はどう見てもアメトークの罰ゲームになっております。
私は座りませんでしたが、この写真を撮影する前には長々とお座りになっているおばあちゃんがいらっしゃいましたが痛くないんでしょうか?
まさに「心頭滅却すれば火もまた涼し」で悟りを開いている方と思われます。
ちょうど足踏み石祈願台座の脇が西側鳥居になります。
その他境内
足踏み石祈願台座の横に、菅原道真公物語がありました。(全5枚) やはり、ご本人はお使いたる牛に引かれての旅路だった様です。
しかし、菅原道真公の左遷についてはいつ語るのか…?
「足の神様」だけに、くつも御供養くださる様です。
ところで、これはえびす様ではなく、布袋様ですよね?
なぜ、ここに? すごい量の絵馬がかけられていました。
御朱印
こちらの休憩所完備の社務所で、
服部天神宮と豊中えびすの直筆御朱印を頂戴しました。
最後は、車の通り道である南門からお暇しました。