湊八幡神社の近くでもう一社くらいと検索したところ、松尾稲荷神社がありましたので、早速、車で向かってみました。
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松尾稲荷神社へ
カーナビの案内に従って西方から来ると突き当りに松尾稲荷神社があったのですが、周囲は民家・商店・工場等が立ち並ぶ下町情緒に溢れる場所で、配送工場のトラックが停車していたこともあって、直接、神社前に向かうことが難しく、やむを得ず、少し離れた場所のコインパーキングの駐車して、5分ほど歩いて神社に向かいました。
神社の東側は、割と大きなマンションが建築されており、また違う街並みでした。
ん?ビリケンさん?通天閣のイメージしかないビリケンさんの登場にちょっとビックリ。
創建
道幅が狭い上に、配送トラックが駐車されていたので、立派な朱鳥居と社碑は個別に撮影。
ちょっと気がつかなかったんですが、左側の鳥居の足下には、阪神淡路大震災で落ちてしまった社額が、地震の記憶を忘れない様にとの思いで、そのまま置かれているそうです。
創建年は不詳ですが、松尾稲荷神社の創建も湊川神社同様、楠木正成公が大きく関わっています。
湊川神社(楠公さん)については、コチラのページをご参照ください。
湊川神社 明治政府創建!将来の大河ドラマの主人公?を祀る巨大神社 – 関西御朱印 ブログ (kimikan.com)
松尾神社が御鎮座されている現在地は、以前は旧湊川の堤防上でした。
湊川の合戦に際し、楠公は一族郎党に、湊川堤防上にあった松の大樹を目標にして集合を命じました。
集合した一同は、血戦を前にして、肌身離さずつけていた護符が血で汚れない様にと、その松の木の根元に祀られていた稲荷の祠に護符を納め、血戦に向かったと言われています。
社殿こそ無かったと思われますが、このエピソードから楠公が戦死した1336年以前から、この地に稲荷が祀られていたことがわかります。
その松の大樹は枯れてしまったため、1914年に社殿が造営されるに伴い、伐採されて現在は残っていませんが、楠公縁の松の木に因み、社号は松尾稲荷神社と名付けられました。
戦前は、新開地や福原遊郭が近くにあったため、多くの商売人や劇場の役者、福原の芸妓やカフェの従業員といった水商売を生業とする人々、元町の中華街から来る中国人が参拝に訪れ、昼夜を問わず大層な賑わいだったそうです。
朱鳥居
境内に入ると思ったより奥行が深く、多くの朱鳥居が並んでいます。
狛狐
稲荷神社だけに狛狐です。
手水舎
手水舎は休止中でしたが、松や鳳凰、龍が彫刻された総檜造りの立派なもの。
平成のビリケンさん
早速お目にかかれたビリケンさんですが、こちらは平成のビリケンさん。
元々、北野坂にあったものが2018年に移されたそうです。
一願成就の碑
元々は、遥か離れたこの地から碑を通して伊勢神宮を拝むべく、1912年に遥拝碑として建立されたものです。
しかし、赤い円形のガラスが目の様に見えることから、一眼=一願となり、いつしか一願成就の御利益がある碑として、人々の崇拝を受ける様になりました。
松尾神社改築記念碑
1914年の社殿造営に伴い、設置されたものと思われます。
境内末社
実は、江戸時代の後期に当時の村内に点在していた神祠を松尾神社内に集約し、現在は覆殿内で本殿を取り囲む様に祀られているのですが、
末廣社だけが境内に別途祀られていました。
拝殿と御祭神
この鳥居の奥の建物が覆殿で、その中に拝殿があるのですが、
虹の様な逆光…。
撮影拒否かもしれませんね。
また、見にくいですが覆殿内には、約350個の提灯が掲げられており、「提灯持ちのお稲荷さん」という愛称で親しまれています。
主祭神
宇賀御魂大神・佐田彦大神・大宮能売大神の三柱が稲荷大明神として祀られています。
御神徳は、商売繁盛・産業興隆・家内安全・縁結び・交通安全と幅広く信仰されています。
松福社
覆殿の最奥左側に祀られる松福社。
松福大神として祀られているのがビリケンさんです。
御神徳は、除災招福・病気平癒・学問向上。
ビリケンさん
私は初めて知ったお話ですが、ビリケンさんは、1907年にアメリカの女流彫刻家が神の姿をを夢想し、制作し、1908年に開催されたシカゴ美術博覧会に出展されたものです。
これが、聴衆に大評判となり、幸運のマスコット・ラッキーゴッドとして、大理石製の坐像ややセルロイド製の人形が作成され、やがて世界中に流行するまでになりました。
作られたグッズは2万種類以上と言われ、カルティエ社がポルティコという名の時計を製造したり、テディベアで有名なシュタイフ社もぬいぐるみを制作しています。
名前の由来は、当時のアメリカ大統領であったウィリアム・タクトの愛称であるビルとする説とアラスカのイヌイット族がセイウチの牙で作ったベリケン人形とする説があります。
松福大神
松尾稲荷神社で松福大神として祀られているビリケンさんは、大正時代の初めに神戸に寄港したアメリカ人水兵が持っていたビリケンさんを見た元町の洋食店の主人が、それを模して作成したものです。
朱の漆塗りは施され、米俵の上に座し、右手には打ち出の小槌、左手には瑞玉を持ち、背中には大判を背負っている姿は、福のかたまりの様なお姿です。
ちょっと大黒様と混じった様なお姿から、和洋折衷のジャパンビリケンとも呼ばれる形状だそうです。
制作した洋食店はビリケンを店頭に安置し、大繁盛したそうですが、大正末期に縁あって、松尾稲荷神社に奉納され、以来、福の神「松福様」として信仰されています。
ところで、この「松福様」は、関東利根川沿いに安置されているビリケン像と同時期のものとされ、公共の場所に安置されているビリケン像としては日本最古の物と言われています。
ジャパンビリケンとしては、間違いなく日本最古のものとなります。
御朱印
拝殿左側の社務所で、
直筆御朱印を頂戴しました。
「BILLILEN LUCKY GOD」という英文が入っています。
上部のキツネさんが♡型なのも可愛いですね。
尚、「一粒萬倍」というのは、全ての繁栄を顕すお稲荷様の御神徳です。
帰り際には、お清めのお塩も頂戴しました。