能福寺参拝を終えると、先ほど道中で見つけた神社を参拝しようと、グルッと一周して、まずは柳原天神社に行ってみたのですが、社務所がお留守…。
柳原蛭子神社へ
もう一回り大きめに一周して、柳原蛭子神社を目指しました。
大通り沿いに大きな朱鳥居があったのですが、コチラの東側石鳥居が正門でしょうか?
裏通りにはなりますが、コチラから参拝させていただきました。(·∀·)b
創建
創建年代は不詳ですが、元禄5年(1691年)に記された兵庫津の「寺社改帳」に神社の事が記されていることから、元禄時代以前から祀られていたと考えられます。
社記においては、往古、蛭子命天磐櫞船に乗りて淡島海より津国に遷座し、一社が創建されたと記されています。
光格天皇の時代(1780年~1817年)には、泰幣御勅使の代参もあり、御神徳が高まり、親しみをこめて「神戸柳原のえべっさん」と呼ばれ、人々の間で福の神として信仰を集めています。
拝殿と主祭神
拝殿の様子です。
祀られる主祭神は、蛭子大神と大物主神の二柱。
蛭子大神は、えびす様の総本宮である西宮神社と同じ御祭神でもあり、漁業・海上安全、特に商売繁盛の神様として有名で、世民からの親しみも深く人気のある神様です。
ところで、蛭子(ヒルコ)の神が一番古く語られている「古事記」「日本書紀」においては、伊邪那岐命・伊邪那美命の神が日本国土を創生する際に、その御子として生まれたものの手足が不自由であったため、天磐櫲樟船に乗せられ流されたとの記述があり、再登場の際には海を領する神として、西宮に上陸した旨が書かれています。
しかし、そうなると大国さんとは親子じゃないとなるわけで…。
一方、柳原蛭子神社に祀られる大物主神も国造りを成し遂げた大黒様と同一神とされていますが、別神とする説もありますので、何が何やらではありますが…。(·∀·)
とりあえず、えびす様と大黒様の親子を祀る神社と考えてよろしいのではないでしょうか。
尚、現在の社殿に関しては、1950年に戦災から復興再建された後、1995年の阪神淡路大震災により著しく損傷を受け、2010年に改修・造営されたものです。
拝殿の扁額です。
本殿の様子です。
西側大鳥居
西側の大鳥居沿いの大鳥居は2011年に建立されたもので、本殿を臨む形で建っています。
大鳥居の足下の社号標。
神楽殿
拝殿前の神楽殿では、十日えびす大祭時に、御神楽が執り行われる他、宵えびすにおいては淡路人形浄瑠璃 福神楽「戎舞」が奉納されます。
久々に拝殿じゃなく舞殿に出会いました。(·∀·)b
ところで、宵えびすでは神戸中央卸売市場・神戸水産物卸協同組合のみなさんと有志一同がまぐろ奉納神輿を担ぎ、柳原蛭子神社周辺の町内を周り、本殿にまぐろを奉納する「まぐろ奉納神事」も執り行われるそうです。
神楽殿前にいらっしゃった狛犬(阿形さん)です。
境内社
西本稲荷神社
2011年に改修された西本稲荷神社では、除災招福の「湯たて神楽」が執り行われます。
水神社
古くは雨乞いの儀式が行われていたと伝わる水神社。
その他境内
えびす像
元々、とある会社のお庭にあったそうですが、縁あって2005年に柳原蛭子神社の境内に移されたものだそうで、作られた年代は不明ですが、相当歴史がありそうですね。
神社にピッタリなええの貰いましたな。(·∀·)b
頌徳碑
頌徳碑は、1945年戦災により全焼した神社の再興のために身命を賭して努力し、志半ばで病魔に侵され、1951年に急逝した先々代宮司である井上四郎宮司の功績を讃え、1961年に当時の神社総代世話人により建立されたものです。
御朱印
社務所も1995年の阪神淡路大震災で全壊後、1997年に鉄筋コンクリート造で再建されたものですが、コチラで、
書置きの御朱印を頂戴しました。(·∀·)b
尚、柳原蛭子神社は、兵庫七福神めぐりの一社(蛭子様)になっています。
柳原蛭子神社 情報 by 関西御朱印 ブログ
兵庫県神戸市兵庫区西柳原町5-20
TEL:078-651-0183
無休
参拝料 無料
参拝時間 24時間可能
社務所受付時間 9:00~16:00
初穂料 300円
公式ホームページ 柳原のえべっさん – 兵庫・柳原 蛭子神社 (hyogo-ebisu.com)
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本日も、最近、我が家でナゾに重宝されている冷凍食品ごっつ旨いシリーズ「ごっつ旨いモダン焼き」です。
トレーが入っているためお皿いらずの洗い物いらずというのもありがたや~。
外はカリッと中はフワッとも大変goodですが、「ごっつ」は言いすぎかもというところは同じ…。(·∀·)