「この辺りの寺院さんはお留守にされていることが多いので、事前に電話で確認された方が良いですよ」との情報を得てはいたのですが、天神橋筋商店街を抜けて東に向かうとたまたま寺院発見!
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正善院へ
いや、もうさすがにモダンすぎてお寺感全く無いんですけど…?
完全にオフィスビルという感じの外観ですね。
しかも、1Fは美容室って…。
もしかしたら、息子さんとかが美容師さんなのかも知れませんが、珍しい組合せですね。
しかし、ちゃんと日蓮宗って書いてあるし、ネット検索しても御朱印もあるそうなので、間違いなく寺院である模様。
本堂は閉鎖されていましたが、ココは思い切って、本堂に上がる階段の途中にあったビル2Fのインターホンを押しちゃいました。
住職さんとの会話
すると、応答があったので、「御朱印をいただきたいのですが…」と伝えると、しばらくして年配のちょっと強面の住職さんが出迎えてくださいました。
「お宅、宗派は?」(初めて聞かれたぞ。)
「浄土真宗です。」(本当です。)
「ウチは日蓮宗なんだよね。」(いや、知ってますけど。え?初めての宗派違い拒否?)
「日蓮宗は。御朱印に文字を書くんだけどいいの?」(普通、書きませんか?)
「はい。お願いします。」
で、無事に御朱印を頂戴できることになりました。
2Fは、ドアを開けると玄関のたたきしか無いので、「上り間にでも座って待ってて」と言われるがままに、しばらく時間を過ごすことに。
その間、玄関に飾ってあった額縁を撮影させていただきました。
1253年というのは、この寺院の建立ではなく日蓮宗の開宗期ですね。
当寺院は、大本山・誕生寺の直末寺で、摂津国で建立された五ヶ寺のうち、現存する三ヶ寺のうちの一つです。
建立自体は、能勢領主の天満屋敷を天満堀川通水の祈りとして夫婦池の埋立地に建立し、その邸内に妙見堂を建て能勢妙見山の御霊像を法華勧請されたことによります。
その頃の当地は景勝地であり、春には花見客で大変な賑わいだったそうです。
そして、妙見堂は「夫婦池の妙見さん」として人々に親しまれたそうです。
御朱印
そんなことをググッてる内に、住職さんが階段を下りていらっしゃり、直筆御朱印が完成しました。
どんな「言葉」かと思ったら、普通に「南無妙法蓮華経」だった…。
この後、意外にお話好きだった住職さんから、正善院に纏わるお話をいくつか伺いました。
坂本龍馬と勝海舟
中でも、1864年に一橋慶喜から、外国艦隊の下関攻撃を回避せよ、との御用を受けた勝海舟とそれに同行した長崎奉行であった能勢金之助と坂本龍馬が、1865年2月、3人で正善院に参拝し、 その後に神戸港から長崎に向かったという記録が残ってるんだよというお話を大変興味深く拝聴させていただきました。
かの有名な幕末の志士たちが訪れた地に、今いることに感慨を覚えた次第です。
失礼ながら、勝海舟ファンって方はあまりお見かけしませんが、坂本龍馬ファンは多数いらっしゃると思うので、そういう方には是非、正善院さんへの御参拝をお薦めします。
最後に、「ずっと御朱印集めて回ってるの?」と訊かれたので「実は。身体を壊して、1月に退職して今無職なんで、この機会に何か新しいことを始めたいなと思って、以前から興味があった御朱印収集を始めた次第です。」とお話したら、「そう…。そういうことなら、きっとご利益があるから頑張ってね。」と優しいお言葉をいただきました。
何か、それだけで本当にありがたく温かいお気持ちを頂戴できて、思い切って入ってきて良い時間を過ごせたなあと感じました。
突然の訪問にもかかわらず、ご丁寧なご対応をいただき、ありがとうございました。