そういえば、まだ池田市の寺社仏閣は取り上げていないことに気づき、無計画ながら池田市内を周ってみることに。
とりあえず、「池田と言えば池田城やろ!」と訳の分からん固定観念で池田城跡公園を目指して出発しました。
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池田城跡公園へ
カーナビの指示に従い、尼崎から玉江橋線を北上し、国道171号線を東に行き、国道176号線に入り、池田市役所のところを右折…なんてやってる内に
あっさりと到着することができました。(·∀·)b
「偉いぞ!カーナビくん!」と思ってたら、この後裏切られるのですが…。
駐車場が無さそうなので、コインパーキングに駐車して公園内に入ります。
大手門
風情ある橋の先に見えるのは、
「大手門」ということで、ココから公園に入りましたが、写真に写っている様に近所のママさんが子連れで気楽に訪れることができる公園です。
ところで、先ほど風情ある橋と書きましたが、下に水はありませんのでニセ風情。(·∀·)
池田城
大手門から入場し、左に進むと割とすぐに池の向こうに池田城が望めます。
水面に映る池田城…なかなかのナイスアングルと自画自賛。(·∀·)b
まあ、この段階で自信が芽生えていましたが、
近づいて見上げると、「俺でも落とせる!」と自信が確信に変わりました。(·∀·)
おかげで、余裕ぶっこいて鯉など撮影しております。
歴史
池田城は、室町時代から戦国時代にかけて、豊島郡(現在の池田市、豊中市、箕面市周辺)を治めていた国人領主であった池田氏の居城として築城されました。
築城当初は、文字通り居宅の色合いが濃い城であり、何度か落城を繰り返す都度、防衛機能や縄張りを強化していきます。
最初の落城は1469年の応仁の乱の際、西軍側の大内政弘の軍に攻められてのものでした。
しかし、この時は即座に奪回に成功しており、改修も小規模なものだったとされています。
次に、永生の錯乱に端を発した細川氏の内紛の際、細川澄元派に属していた池田貞正は1508年に反対勢力であった細川高国の攻撃を受け落城、貞正は自害し、子の信正は逃亡しています。
更に1531年の大物崩れでも高国の攻撃を受け、この戦いの後に主郭の堀を広げ、周りに土塁を設け、南側にも連郭状の曲輪を設け、防御陣地を拡大しています。
1568年には、池田勝正が織田信長に抵抗するも落城したものの、勝正は抵抗したお咎めを受けることなく逆に評価され、信長から六万石を賜り、家臣として仕えました。
この際に、信長の持つ「虎口」等の城郭の技術を取入れ、より拡張しています。
勝正は信長に摂津三守護の一人に任じられ、金ヶ崎の退き口で殿を務める等の活躍をしますが、三好三人衆についた池田知正や荒木村重により池田城から追放されます。
さて、このブログに頻繁に登場する尼崎のろくでなし:荒木村重ですが、元々は池田氏の重臣であり、勝正を追放した池田氏内部のクーデターで城内をまとめると、残る摂津三守護の茨木城の和田惟政、高槻城の伊丹親興を討ち取り、1573年に足利義昭と対立した信長に忠誠を誓い、摂津国の単独守護の地位を得ます。
ちなみに、池田知正は義昭についたため没落し、池田家を乗っ取った村重の家臣となっています。
その後、伊丹城を手に入れた村重は、有岡城と改名し、居城を有岡城に移しました。
しかし、1578年の石山合戦の最中に村重が石山本願寺に内通しているという噂が流れ、信長が安土城に出仕し、自らに申し開きをする様、命じたことに従いませんでした。
これにより謀反の意を明確にした村重は、有岡城を本拠通に定め、高槻城、茨木城、尼崎城、花隈城に兵を配置し、信長軍の攻撃に備えましたが、池田城に軍を置きませんでした。
逆に池田城に陣を張った信長は、当初は有岡城攻略に苦戦するも持久戦に持ち込んだことで村重は家来5~6人と尼崎城に逃亡し、妻子や家臣を見殺しにし、全員が尼崎市七松で処刑され、命を落としています。
最終的にはシレッと逃亡に成功し、秀吉の茶人となったと言われています。
まさに、ろくでなし。(·∀·)
そして、池田城は戦いの後、信長の命により廃城となりました。
城内
現在の城内は、1階には池田城の歴史や絵図が飾られたり、鯉のエサの自販機が設置され、2階は展望台となっています。
北側からは五月山を望むことができ、
南側からは、池田市街地を望むことができます。
私が2階に上がったときは、おばちゃんが2人、ベンチに腰掛け、心地よい風の中でダベってましたので、間違いなく落城させることができます。(·∀·)
その他園内
芝生広場
美しい芝生広場には、礎石が再現されています。
また、親子が遊んでいたり、時にはヨガやスケッチのイベントも催されるそうです。
花ごよみ
各人・団体から様々な花が寄贈されており、季節毎に美しく咲き誇ります。
コレはコスモスでしょうか?
野草園
正直、どれが野草園なのかわかりませんが…。(·∀·)
西門
私は、反対側の東門(大手門)から入園したのですが、
西門から入園するのは、なかなかハードな様です。
茶室
茶室があるというので覗いてみると、
おばあちゃんがベンチで1人、ハーモニカの練習してました。(·∀·)
思わず木陰から撮影しましたが、定期的にお茶会で利用可能な施設だそうです。
御登城印
園内をグルッと一蹴して、
コチラの売店で、
季節替わりの書置き御登城印(右)とカラー版の通常書置き御登城印を頂戴しました。
池田城跡公園 情報 by 関西御朱印 ブログ
大阪府池田市城山町3-46
TEL:072-753-2767
休園日 火曜日(祝日の場合は直後の平日) 12月29日~1月1日
入園料 無料
開園時間 4~10月 9:00~19:00 11~3月 9:00~17:00
売店営業時間 4~10月 9:00~19:00 11~3月 9:00~17:00
御登城印料 300円(モノクロ版の通常書置き御登城印 100円)
公式ホームページ 池田城跡公園HOME (ikedashiroato.wixsite.com)
本日のおすすめ商品(第166回 直木賞受賞 黒牢城 米澤穂信)
「氷菓」等の作品で知られるミステリー作家:米澤穂信氏の直木賞受賞作品!
実はコレ、荒木村重のお話なんです。
本能寺の変より四年前、天正六年の冬。
信長に叛旗を翻して有岡城に立て籠った荒木村重は、城内で起きる難事件に翻弄される。
動揺する人心を落ち着かせるため、村重は、土牢の囚人にして織田方の智将・黒田官兵衛に謎を解くよう求めた。
事件の裏には何が潜むのか。戦と推理の果てに村重は、官兵衛は何を企む。
めちゃくちゃ面白そうなんですが、文庫本出るまで待つべきかなぁ…。