瀧谷不動 明王寺へ
葛井寺に向かう途中、車で1分もかからない様な場所に辛國神社というのがありまして、帰りに寄ろうと思っていたにも関わらず、車に乗り込んだらすっかり忘れているという始末。
いよいよボケ始めましたな…。(·∀·)
ということで、カーナビにセットしたのは、テン高女子が正月早々おススメしてくれた富田林市の瀧谷不動です。
30分足らずで無事に大きな無料駐車場に到着しました。
山門
無料駐車場から横断歩道を渡った先に山門があります。
車で結構、山の上まで上って来たのでドキドキしましたが、境内図を見る限りでは、それほどエグイ境内では無さそうでホッと一安心しました。
創建
平安時代の嵯峨天皇の御世821年に弘法大師がこの地に留まり、国家安泰と国民の幸福を祈りるための道場として開かれたのが始まりとされています。
しかし、その創建の地は現在地から南に約1Kmの嶽山の山腹だったのですが、1360年の足利義詮の嶽山・金胎寺城攻めの際に焼失し、御本尊と脇侍の両童子だけが難を逃れ、お滝の下に移されることで難を逃れました。
その後、どこからともなく現れた一人の盲目の老僧が、お滝の下に安置されていた御本尊の霊験を説き、人々に勧めて小堂を建てて復興し、御本尊を日夜礼拝していた老僧は、眼が見える様になっていずこかへ立ち去ったと言われます。
ところで、この老僧については、弘法大師の化身とされています。
その後、1463年の畠山政長・義就の嶽山合戦の際に、小堂を焼失後、慶長年間(1596年~1615年)に現在地に移り、次第に復興を果たしていくとともに、老増の話に基づき、「目の神様」「芽の出る神様」として、篤く信仰されています。
本堂と御本尊
本堂は、1897年に中興の祖である慈恭僧正により建立され、1928年に奥の院が増築されています。
御本尊の不動明王は、弘法大師が高野山に向かう途中、この地で雨乞いの祈願をされ、御自身で一刀三礼の祈りを込めて彫られた霊像と伝えられ、脇侍の矜羯羅童子・制咜迦童子とともに三体合せて国指定重要文化財になっています。
しかし、1958年に像の解体修理を実施した際、不動明王の像内に寛治8年(1094年)の墨書、矜羯羅童子の像内から永長2年(1097年)の年記のある紙片が発見されたことから、実際には平安時代後期11世紀末の作であるとされています。
御本尊は秘仏とされていますが、お不動さま縁日の毎月28日の他、毎月8日、18日も「八の日御開帳」として拝観することが可能です。
尚、奥の院には十二天、真言八祖、並びに各人の干支の守り本尊が祀られています。
山号は、「瀧谷山」です。
ちなみに、本堂から振り返ると、まさかの「スポタカ」でした。(·∀·)
日本三大不動
ところで、ホームページ等で「日本三大不動」とされている瀧谷不動尊ですが、これには諸説ありまして、一般的に知られるところだけでも千葉県成田市の成田不動尊、東京都目黒区の目黒不動尊、熊本県熊本市の木原不動尊、福島県福島市の中野不動尊、そしてこの瀧谷不動尊と五つ挙げられており、まぁどれが正解というわけではない様です。
というか、もう日本五大不動で良くね?(·∀·)
その他境内
御膳場(授与所)
平日ですが、まだお正月から間もないこともあってか、結構な人で賑わう授与所です。
うさぎの干支みくじがカワイイので撮りましたが、写真では何だかわかりませんね。
ちなみに、コチラの授与所はフェイントで御朱印は寺務所で頂戴できます。(·∀·)
無畏殿
扁額は「修無畏」となっていますが、「無畏殿」と名付けられた客殿で、2020年に再建された築浅物件です。
お正月等の行事の際に使用される講堂があり、御本尊として走り不動尊が祀られています。
法楽殿
車の御祈祷・交通安全祈願が行われる法楽殿は1964年に建立されたもので、御本尊として不動明王、厄除け日輪観大師、役行者が祀られており、5月28日、9月28日には、堂前にて柴灯大護摩供のお勤めがなされます。
瀧谷不動 明王寺 情報 by 関西御朱印 ブログ
大阪府富田林市彼方1762
TEL:0721-34-0028
無休
参拝料 無料
参拝時間 6:30~16:30
寺務所受付時間 8:30~16:30
初穂料 300円
公式ホームページ 瀧谷不動明王寺【瀧谷不動尊】|眼病平癒・厄除けの霊場 (takidanifudouson.or.jp)
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突如として、ホットサンドに目覚めた嫁が新年早々購入したホットサンドメーカーです。
バタバタする朝に備えて、夜の内に作って朝はチンして食べるそうな。
ご相伴にあずかりましたが、香ばしくて美味しかったです!