ところで、愛染堂勝鬘院の西側に隣接する形で大江神社が鎮座されているのですが、お詣りした後に社務所に伺うと、
ナゾのニャンコ祭り状態…。(°д°)
外にいるコは中には入れないのでしょうか?
この貼り紙が当日限りのものなのか、コロナ禍で半永久的なものなのかは不明ですが、少なくともニャンコには御朱印は書けないということがわかりました。(·∀·)
ということで、ブログ的にはパスして、生國魂神社に向かうことに。
生國魂神社へ
愛染堂勝鬘院から谷町筋を北上すること約1Kmで西に入ったところに鎮座されている生國魂神社です。(·∀·)b
正面鳥居と参道
東側の正面鳥居の様子です。
「いくたまさん」の愛称で知られているので、私も「いくたまじんじゃ」だとばかり思っていましたが、正式名称は「いくくにたまじんじゃ」だそうで驚き。
しかし、看板には参道入り口の看板のふりがなは、「いくたまさん」と記されていました。
谷町筋側から続く参道は、かなりの長さですが、駐車場を兼ねているのでしょうか?
創建
創建年代は不詳ですが、初代天皇である神武天皇の東征の際、天皇が摂津国難波碕(現在の難波宮跡)に生島神・足島神を祀ったのが始まりとされています。
「日本書紀」では、孝徳天皇が神道を軽んじた例として、生國魂社の樹を伐採して難波宮造営に使用した旨が記されていますが、これ以前の推古天皇の時代に、難波吉士磐金が新羅から持ち帰った鵲二羽を献上し、「難波社」で飼わせた旨が記されており、この「難波社」が旧生國魂神社であるという説もあります。
難波宮・鵲については、コチラの「鵲森宮」のページをご参照ください。
鵲森宮 JR環状線森ノ宮駅から徒歩数分の聖徳太子が創建した唯一の神社|関西御朱印 ブログ (kimikan.com)
拝殿
広大な敷地内に威風堂々とした拝殿の様子です。
1583年、豊臣秀吉の大坂城築城に伴い、1585年(1598年という説もあり)に現在地に遷座され、1606年に豊臣秀頼により社殿が造営されましたが、1615年の大坂夏の陣により焼失しています。
以後、江戸幕府による社殿再興、1912年「南の大火」による社殿焼失、1913年再建、1945年「大阪大空襲」による焼失、1949年再建、1950年「ジェーン台風」による倒壊と、焼失・倒壊と再建の繰り返しを経て、現社殿は1956年に鉄筋コンクリート造で再建されています。
主祭神は、生島神・足島神の二神。
その御神徳は、「日本列島そのものの神であり、大地に生きるもの全てを守護する」という大変大きなスケールのものとされています。
境内社
皇大神宮
天照皇大御神を祀る皇大神宮。
住吉神社
住吉三大神(底筒男神・中筒男神・表筒男神)を祀る住吉神社。
天満宮
菅原道真公を祀る天満宮。
その他
この三社の他にも、城方向八幡宮・鞴神社・家造祖神社・浄瑠璃神社・鴫野神社・源九郎稲荷神社・稲荷神社・精鎮社の八社があり、計十一社の境内社を有しています。
神々の皆様、写真が無くてその他扱いしてしまい申し訳ございません。<(_ _)>
それにしても、生國魂神社ならではの境内社名が並んでおり、今さらながらちゃんと見ておけば良かったと思います。
米澤彦八顕彰碑
上方落語の発祥については諸説ありますが、「米澤彦八が大阪で芝居のものまね・軽口咄を行った」という説に基づき、境内に米澤彦八の顕彰碑が設けられていました。
ちなみに、生國魂神社が「曾根崎心中」の冒頭に登場することもあってか、境内には芝居小屋が見世物小屋が立ち並び、「曾根崎心中」の他にも谷崎潤一郎の「春琴抄」等、多数の芝居や浄瑠璃が披露され、上方の文化・芸能が花開いた場所と言えるかも知れません。
御朱印
拝殿横の社務所にて、二種類の直筆御朱印を頂戴しました。
後から思えば、まだまだ見どころたくさんの生國魂神社なので、また改めて参拝させていただきたいと思います。
生國魂神社 情報
大阪市天王寺区生玉町13-9
TEL:06-6771-0002
無休
参拝料 無料
参拝時間 9:00~17:00(季節により異なります)
社務所受付時間 9:00~16:30
初穂料 500円
公式ホームページ 難波大社 生國魂神社 (ikutamajinja.jp)
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