建仁寺へ
さて、次なる予定は西国三十三所霊場第十八番札所の頂法寺(六角堂)だったのですが、「3Kmくらいあるな~」と考えると、この近辺で別の寺社を周った方が効率が良さそうと思っていたところ、禅居庵の横を通りかかりまして、コレッて建仁寺の塔頭じゃんと思ったらすぐ横に建仁寺があったので、予定を変更して大寺院のイメージがある建仁寺に参拝することとしました。
とりあえず、建仁寺の全体像がナゾなので、目の前にある禅居庵からスタートです。
禅居庵 摩利支天堂
山門
南側に設けられた山門の様子です。
私は存じ上げなかったのですが、摩利支尊天を祀る寺院として有名だそうで、大きな提灯がぶら下がっていました。
摩利支尊天は、仏教の守護神である天部の一尊で、陽炎・日光・月光を神格化されたもので、陰形の身で捉えられず、常に日天の前に疾行し、自在の通力を有することから、日本では特に武士における信仰が篤かったとされます。
創建
信濃守護であった小笠原貞宗が、自身が帰依していた南禅寺の住持である清拙正澄のために建仁寺の塔頭として、元弘年間(1331年~1333年)に創建したものです。
天文年間(1532年~1555年)に兵火により焼失しましたが、1547年に織田信秀により再建されています。
ところで、清拙正澄という方は、中国の元時代に福州で生まれ、鎌倉時代に来日以降、北条氏の庇護の下、鎌倉在中時には浄智寺、円覚寺、上洛後は建仁寺、南禅寺の住持を歴任した大僧です。
本堂(摩利支天堂)と御本尊
摩利支天堂と名付けられた本堂の様子です。
しかし、禅居庵としての御本尊は、聖観音菩薩だそうです。
清拙正澄が鎌倉時代末期に来日する前に元で自作したといわれる摩利支尊天も鎮守神として本堂に合わせて祀られているそうですが、コチラは秘仏になっています。
摩利支尊天が七頭の猪の上に坐したお姿をされていることから、狛犬ならぬ狛猪ですが、境内には他にも多数の猪がいらっしゃいます。
秘仏:摩利支尊天様のお姿をイラストで拝見することができます。
個人的には、天に向かって雄叫びを上げているコノ子が一推しですね。(·∀·)b
亥堂
最初、手水舎かと思いましたが、猪が祀られる亥堂です。
接写するのを忘れてしまいましたが、猪さんの足下にはたくさんのチビ猪が並んでおり、たぶん参拝された方が亥みくじを引いた後に入れ物を奉納されているものだと思います。
小松地蔵尊
禅居庵の所在する地名が小松町なので、地域を守護してくださるお地蔵様ですね。
三光威徳天堂・荒熊大権現堂
摩利支天堂の西側にあるお堂はちょっと何のお堂かわからなかったのですが、恐らく、
摩利支天堂とこのお堂の間に安置されている三光威徳天と、
荒熊大権現を祀るお堂ではないでしょうか。
ところで、「三光威徳天」の「威徳天」は、密教の「大威徳明王」に由来しており、例えば菅原道真公は「日本太政威徳天」という神名をお持ちなのですが、「三光」がどなたのことを指しているのかは不明です。
ちなみに「荒熊大権現」も伏見稲荷大社に荒熊大明神がおられる様にお稲荷さん系だと思うのですが、「大権現」様になっちゃったのはナゾです。
余談ですが、実は尼崎競艇内にも荒熊大明神が祀られているので、もしかしたら勝運繋がりで、武士の信仰の篤い禅居庵に勧請されたのかも知れません。(完全に推測です。)
西門
大和大路通に面した西門は、冠木門になっており、やはり狛猪さんがいらっしゃいます。
この通りを北上すると、四条通の南座のところに出ます。
東門
境内は、建仁寺につながっており、
境内東の「ゆずりあいの道」を通って建仁寺境内に抜けることができます。
建仁寺の境内から見た禅居庵の東門です。
実は、禅居庵は大きくて、この写真の奥に仏殿・庭園・書院・客殿等も有しているのですが、現在公開されているものは、摩利支尊堂のみとなっています。
御朱印
コチラの授与所で、
「摩利支尊天」の書置き御朱印を頂戴しました。(·∀·)b
禅居庵 摩利支天堂 情報 by 関西御朱印 ブログ
京都市東山区大和大路通四条下る4丁目小松町146
TEL:075-561-5556
無休
拝観料 無料
拝観時間 10:00~16:30
納経所受付時間 10:00~16:30
初穂料 300円
公式ホームページ 臨済宗建仁寺塔頭 禅居庵 (zenkyoan.jp)
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