粉河寺 Vol.5
粉河産土神社
実は、粉河寺の本堂から見て北部(上部)は、前回ご紹介した北東部の十禅律院を除き、西部にかけてほぼ全域が粉河産土神社の境内となっています。
写真は石段下から粉河産土神社を撮影したものですが、コレは石段を下りて来たときに撮影したもので、実際には十禅律院から西に歩いて、粉河産土神社を横断した次第です。
創建
770年に紀伊国の漁師であった大伴孔子古が粉河寺を創建した後、783年にその息子である大友船主が鎌垣庄内各村の氏神を勧請し、粉河寺の鎮守社として社を建立したのが始まりとされています。
1585年には、豊臣秀吉の紀州征伐に遭い、粉河寺諸共全焼しますが、江戸時代を通じ、粉河寺の本堂のすぐ奥にある鎮守社として、紀州徳川家の篤い庇護の下、復興を果たします。
しかし、明治の神仏分離令により、粉河寺から独立、以降、1912年に旧長田村松井の丹生神社、粉河町東毛の大神社を合祀、1919年には粉河町の粉河天福神社も合祀しています。
拝殿と主祭神
拝殿の様子です。
拝殿内の様子ですが、写真でおわかりの様に、本殿が二つに分かれています。
左側が第一殿「丹生大明神社」で、地の神として災いを祓い退け、一切を守り育てる女神とされる丹生津比売命を主祭神として祀っています。
右側が第二殿「若一王子社」で、天の神として五穀豊穣、農業を司る天忍穂耳命を主祭神として祀っています。
つまり、「真ん中に立って拝むと天と地を同時に拝めるんですよ」と宮司さん。(·∀·)b
ところで、第一殿・第二殿ともに、元禄年間~宝永年間(1688年~1711年)にかけて再建されたもので、紀の川市指定有形文化財となっています。
拝殿前の狛犬(阿形さん)です。
境内社
粉河稲荷神社
五穀豊穣・衣食住の神として、粉河稲荷大明神を祀っています。
白山神社
縁結びの神として、白山比咩大神を祀っています。
護国神社
戦争で亡くなった粉河の人々を祀っています。
五社
右から、北野神社(学問・至誠・厄除け)・日吉神社(開運・厄除け)・多賀神社(健康回復・延命長寿)・一言神社(誰にも言わずに一つだけお願いすれば叶えてくださるという神様)・楠神社(厄除け・開運・家内安全・交通安全)の五社。
猿田彦碑
なぜか社がありませんが、方角・旅・道の神である猿田彦命を祀っています。
天福神社
粉河の天福町の氏神様を祀っています。
ところで、天福神社の本殿は1727年に建立された紀の川市指定有形文化財です。
その他、吉野神社・熊野神社・大神社・須佐神社の四社があったのですが、全て塀の向こう側(表現が悪い)で、4~5人のおばちゃん・おばあちゃんがキャッキャッはしゃいでる中、塀を覗き込んで撮影する根性はありませんでした。
マスコット
ちなみに、おばちゃんたちがキャッキャッはしゃいでたお相手は、粉河産土神社のマスコット黒猫のタンゴちゃんで、
コチラがもう1匹のマスコット、孔雀のピーちゃん。
基本、求愛の行動ですが、人間に対しても縄張りを主張するのに羽を広げる場合があるそうですが、残念ながら、このときは羽を広げてくれませんでした…。orz
もっとも、このとき目の前にはおばちゃんたちと黒猫のタンゴちゃんがいたので、慣れっこなのかも知れません。
御朱印
社務所で、境内社の分もあったのですが、本殿の御朱印を頂戴しました。(·∀·)b
行者堂
さて、石段を下りて粉河寺に戻ったと思ったら、また別の石段を上った先にある行者堂には役行者が安置されており、毎年旧初午の日のみ開扉されます。
千手堂
千手堂は、1760年に建立された国指定重要有形文化財で、内部正面に千手観世音菩薩、両側の祭壇に紀州歴代藩主とその縁ある人々の位牌が安置されています。
御朱印
本堂の納経所で、
西国三十三所霊場第三番札所の御朱印を頂戴しました。(·∀·)b
粉河寺 情報 by 関西御朱印 ブログ
和歌山県紀の川市粉河2787
TEL:0736-73-4830
無休
拝観料 無料(本堂内陣拝観料 400円)
拝観時間 8:00~17:00
納経所受付時間 8:00~17:00
初穂料 300円
公式ホームページ 粉河寺|西国第三番札所|厄除観音|和歌山紀の川市 (kokawadera.org)
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