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総持寺へ
疣水磯良神社を出ると、元々向かっておりました総持寺なので、府道126号線を再度南下し、左折して突き当りという5分足らずで無事に到着することができました。
横には、参拝者用の大きな駐車場も完備されています。(有料ですけど。)
しかし、学生時代に阪急京都線を利用していたので、総持寺という駅があるのは知ってましたけど、初めての参拝となります。
ついでに言うと、高槻市だと思ってました…。(·∀·)
山門(仁王門)
石段の上に建つ山門は仁王門。
山門は、元禄年間(1688年~1702年)に建立されたものと推定されており、楼門形式の門としては大阪北摂地域では箕面市の勝尾寺、池田市の久安寺と総持寺の3棟のみしか現存していないそうです。
金網等が無いので、阿形さんも
吽形さんも、しっかりと拝見することができました。(·∀·)b
金剛力士像二体は、その特色から鎌倉時代後期~南北朝時代にかけての作品と推定されており、山門ともども茨木市指定有形文化財となっています。
しかし、国指定・府(県)指定・市指定の基準の違いは何なんでしょうね?
ところで、もう一つ気になるのは後ろのステッカーの数々なんですけど。(·∀·)
創建
総持寺は、亀に乗った観音様や亀の恩返しとして有名な寺院です。
いや、寺標まで亀に乗らんでもええんやけど…。(·∀·)
その創基は、総持寺所蔵の縁起絵巻や今昔物語に残されています。
総持寺の開基である藤原山陰の父である藤原高房が大宰府に赴任する途中、淀川で船を下っていると、漁師たちが一匹の大亀を捕らえているところに出くわし、高房は「今日は観音様の縁日なので、どうかその亀を私に譲ってください」と自分の着物と大亀を交換し、大亀を川に返してあげました。
その夜、河口で夜を明かした高房ですが、知らぬ間に継母の悪巧みにより最愛の子である山陰は川に突き落とされており、嘆き悲しんだ高房が「今一度、我が子山陰に、例え亡骸としてでも会わせてください」と常日頃より信仰している観音様に祈念したところ、昨日助けた大亀が元気な山陰を背に乗せて現れたと言います。
観音様の御恩に深く感謝した高房は、観音様の造像を発願し、遣唐使に中国での香木の購入を依頼しましたが、購入した香木の持ち出しを禁止されたため、遣唐使は香木に銘を書いて海に流しました。
その後、高房が亡くなり、代わって大宰府に赴任した山陰が浜辺で、中国より流れ着いた香木を発見し、父の遺志を汲み、観音像を造立し879年に総持寺を開基し、本尊として造立した千手観音像を祀ったのが起源とされています。
ちょっと、間を端折っておりますが、それは、また後ほど…。
その後、山陰の三回忌である890年に、山陰の七男七女が協力し、五重塔・金堂・食堂・鐘楼・僧房・宝蔵・浴室・四面回廊・大門・脇門等の伽藍を完成させますが、天正年間(1573年~1593年)に織田信長の兵火に罹り全焼し衰亡しましたが、1603年に豊臣秀頼により本堂が再建され、境内の復興が行われています。
しかし、織田信長・荒木村重が燃やして、豊臣秀頼が再建するのが、すっかりパターン化しておりますな。(·∀·)
本堂と御本尊
本堂(茨木市指定有形文化財)の様子です。
祀られている御本尊は、山陰が造立した秘仏:木像千手観世音菩薩像(茨木市指定有形文化財)で、脇侍として善女龍王像と雨宝童子像が安置されています。
ところで、この日は、たまたま秘仏:木造千寿観世音菩薩像の公開日でして、500円だったか600円だったかで本堂に入堂できたのですが、堂内撮影禁止だったので、迷った末に入堂しませんでした。
だって、ポスターが貼ってあったんで、すっかり観た気になっちゃったし。(·∀·)
寺伝にもあるのですが、ちゃんと亀に乗っておられます。(·∀·)b
賽銭箱には、逆に亀が乗っています。
さて、最近はなかなか参拝する時間が取れないので、ネタ節約のため、本日はこのへんで。
総持寺 情報 by 関西御朱印 ブログ
大阪府茨木市総持寺1-6-1
TEL:072-622-3209
無休
拝観料 無料(※特別公開を除く)
拝観時間 6:00~17:00
納経所受付時間 8:00~17:00
初穂料 300円
公式ホームページ 総持寺 (sojiji.or.jp)
本日のおすすめ商品(大阪 茨木市産 冷凍 生栗 150g × 3パック)
総持寺は高槻市ではなく、茨木市です。(·∀·)b
ということで、茨木市産の秋の味覚として栗をご紹介!
栗ご飯にしても栗きんとんにしてもホクホク、ホッカリ甘い栗をご賞味ください!