関西御朱印 ブログ
今年から始めた御朱印収集巡りを紹介していきます。たまに閑話休題でペットやグルメ、友人夫婦の子育て日記などについても書き込ますので併せてお楽しみください。
奈良県 奈良市

興福寺 Vol.1 奈良県人気ビッグ3巡り第一弾はNo.2の興福寺からスタート!

当ブログ初進出の奈良県です。(·∀·)b

「omairi.com」さんで、奈良県人気No.1の東大寺、No.2の興福寺、No.3の春日大社を一挙訪問を目指したプランでしたが、果たして完遂できるのでしょうか?

というか、朝一でバタバタして、出発が10:00前というのっけからの体たらく…。(·∀·)

興福寺へ

まずは、JR尼崎駅から大阪駅で環状線に乗り換えて、鶴橋駅で近鉄電車に乗り換えて近鉄奈良駅にやってまいりました。

近鉄奈良駅前では、行基菩薩様がお出迎えしてくださいました。

しかし、この方が伊丹市の昆陽寺を建立した人だと思うと、私が1時間ちょっとで辿り着いた距離を、どれだけかけて歩かれたのか…。

猿沢池

商店街を抜け、左に折れるとすぐ、

風光明媚で有名な猿沢池に出ます。(·∀·)b

興福寺の五重塔が周囲の柳と一緒に水面に映る風景は、南都八景の一つとして有名ですが、近年はアオコが発生してご覧の様に水が緑色となっており、その風景は拝めませんでした。

ところで、「猿沢池の七不思議」というのがあって、水は澄むことも濁ることもなく、水が流入する川はなく流出する川も無いのに常に一定量の水を保ち、亀は多いが蛙はおらず、藻も生えず、毎年多くの魚が放流されているのに増える様子が無いとのことです。

方向音痴なので方角は今一つ不明ですが、猿沢池の左手から興福寺の境内に入りました。

創建と歴史

法相宗の大本山である興徳寺は、669年に藤原鎌足が重い病気を患った際に、夫人である鏡女王が、鎌足発願の釈迦三尊像を本尊にした他、四天王等の諸仏を安置するために現在の京都市山科区に「山階寺」を創建したのが起源とされています。

672年の壬申の乱以降、飛鳥に都が戻った折に山階寺も藤原京に移り、地名の高市郡厩坂から「厩坂寺」と改称し、710年の平城京遷都にあたり、鎌足の子である藤原不比等により、現在地に移され、初めて「興福寺」と名付けられました。

その後、天皇や皇后、また藤原氏により、次々に堂塔が建立され、720年には藤原不比等が亡くなりますが、元来、藤原氏の私寺だった興福寺の造営は国家に委ねられ、奈良時代には四大寺、平安時代には七大寺の一つに数えられた他、摂関家である藤原家により創建されたという歴史もあり、手厚い保護をを受け、寺勢は益々盛んとなっていきます。

平安時代には、春日大社の実権を手中に収め、大和国を領する存在となり、鎌倉幕府・室町幕府を通じて、大和国に守護は配置されず、興福寺がその任を行っていました。

しかし、寺勢を誇った興福寺も1717年に大火災に見舞われると、時代背景もあって再建資金を捻出できず、1819年に篤志家の寄附により、ようやく仮堂として中金堂が再建されるほどでした。

更に、1868年の神仏分離令により、全国的な廃仏毀釈運動の中、春日大社との神仏習合が行われていた興福寺は大打撃を被り、18寺あった末寺とは全て本末関係を解消、83寺の子院、6坊は全て廃止となり、全僧は自主的に還俗し、神職として春日大社に仕えています。

その後、東大寺による管理の申し出を断り、西大寺・唐招提寺に興福寺の管理は任されましたが、1870年に寺領は没収され、境内のみが残され、1872年には廃寺にする旨の指令を受けましたが、それは何とか免れています。

しかし、苦難は続き、1880年には没収された興福寺旧境内は奈良公園となり、残っていた境内も築地塀が取り払われ、樹木が植えられ、奈良公園の一部となってしまいます。

ほぼ廃寺となった興福寺は、五重塔や三重塔も売りに出されるほどであったそうです。

この後、廃仏毀釈の嵐が収まり、ようやく1881年に興福寺の再興が許可され、翌1882年から復興に取りかかることとなります。

そして現在では、1998年に「古都奈良の文化財」の一部として世界遺産に登録され、様々な再建計画に基づき、再建・改築等が進められています。

延命地蔵尊

石段の途中で左手に折れると、延命地蔵尊がいらっしゃいました。

で、石段に戻らずに先に進むと…

三重塔(国宝)

早くも、国宝第一弾、三重塔に遭遇。(·∀·)b

三重塔と言えば、横溝正史の「三つ首塔」を連想してしまうのですが…。(·∀·)

三重塔は、1143年に崇徳天皇の中宮であった皇嘉門院聖子が建立し、1180年に平重衡による南都焼討の際に一度焼失していますが、鎌倉時代の初期に再建されたと言われており、北円堂とともに興福寺最古の建物となります。

木割が細く軽やかで優美な線を醸し出し、平安時代の建築様式の特徴を表しています。

ところで、内部には弁才天坐像とその諸尊(十五童子)が安置されており、年に一度七月七日にのみ開帳されるそうです。

と、この後に国宝館で出会った興福寺マニアのオッちゃんが語ってくれました。(·∀·)

ということで、Vol.2に続きます。

興福寺 情報 by 関西御朱印 ブログ

奈良県奈良市登大路町48

TEL:0742-22-7755

無休
拝観料 国宝館 大人 700円 中高生 600円 小学生 300円
    東金堂 大人 300円 中高生 200円 小学生 100円
    共通券 大人 900円 中高生 700円 小学生 350円(国宝館+東金堂)
    中金堂 大人 500円 中高生 300円 小学生 100円
           (※中金堂は共通券無し。各団体割引・身障者割引あり。)
拝観時間 9:00~17:00(※上記有料施設は16:45受付終了)
納経所受付時間 9:00~17:00(※16:30受付終了)
        (※南円堂納経所・興福寺勧進所の二ヶ所あり。)
初穂料 通常御朱印 300円 切り絵御朱印 1,000円
公式ホームページ 法相宗大本山 興福寺 (kohfukuji.com)
本日のおすすめ商品(ドラゴンクエストX 目覚めし五つの種族 オフライン 通常版 Switch版)

ゲームは引き籠るためのもの派の私はあまりオンラインゲームを好まないので、ドラクエシリーズでもXだけは未体験でしたが、待望のオフライン版が一昨日発売されました!

とりあえず、Switch版(通常)です。(·∀·)b

さあムッキー、ともに世界を平和に導くのじゃ!

ということで、しばらく引き籠りになります。(·∀·)

ABOUT ME
kimikan
55才のおじさんです。 体調を崩して、今年1月末に退職し、現在無職の日々を過ごしています。 せっかくの機会を活かし、新たに始めた関西近郊の御朱印収集を中心に、愛するペットや友人の子育て日記、グルメネタ等について日々綴っていこうとブログを開設しました。 拙い文章ですが、どうぞよろしくお付き合いください。

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