葛井寺へ
坐摩神社から少し南に下った場所に難波神社があるので、そこも参拝するつもりだったのですが、一方通行を読み違えてあっさり断念しました。(·∀·)
とりあえず、サムハラ神社で御守りを返却できたので、大阪市内はコレくらいにして、本日の最大目標である西国三十三所霊場第五番札所の葛井寺に向かいました。
カーナビをセットすると、またまた国道25号線を通るのね…。
ということで、所要時間は1時間足らずだったと思いますが、葛井寺に到着です。(·∀·)b
南大門(楼門・仁王門)
葛井寺の表玄関に当たる南大門は、開山以来、幾度かの焼失・倒壊があり、1493年に足利軍と楠木正行による藤井寺合戦で消失、その後再建されたものの1510年に大地震により倒壊し、1601年に豊臣秀頼により再建されています。
しかし、その南大門は1785年に境内の西側に移設され、現在の西門となり、この南大門は1800年に新しく建てられたもので、大阪府下の寺院における山門の中で二階建て造りの楼門は極めて珍しいものと言われています。
ところで、実は葛井寺では2025年の「本尊千手観音開基1300年」に向け、令和の大改修工事を行っているそうで、この南大門も1億3千万円の経費をかけて大改修が行われ、昨年7月に開門式が執り行われたばかりだそうです。
金剛力士像の阿形さん。
同じく吽形さんは、1800年に南大門建立の際に作られたものだと思いますが、作者は不明です。
創建
寺伝によると、奈良時代に聖武天皇の勅命により、葛井連(ふじいのむらじ)の邸宅地に寺院を建立し、春日仏師に命じて作らせた千手千眼観世音菩薩を725年に行基菩薩が開眼法要を行ったのが始まりとされています。
しかし、発掘調査により、7世紀中頃まで遡る瓦が出土しており、葛井氏の前身である白猪(しらい)氏によって建立された氏寺ではないかという別説もあります。
白猪氏は、百済王族の辰孫王の子孫に当たり、船氏・津氏と同族と言われ、6世紀後半にこの地に移住してきたとされ、奈良時代に入ると白猪氏は官僚の道を進み、720年に一族の有力者が葛井連の氏名を賜り、その氏寺を葛井寺としたものとされます。
境内
本堂は、すぐそこに見えていましたが、とりあえずは境内散策…。
鳥獣慰霊碑
猟友会さんが、ちゃんと殺めた鳥獣の慰霊碑を建立されていらっしゃいます。
西国三十三所霊場御詠歌碑
「ふだらくや…」と言えば、行ったばかりの青岸渡寺の御詠歌やな~と思ってたら…
角を曲がってみると、西国三十三所霊場、全部揃ってました。(·∀·)
全部は撮れないので、一番大きそうな暫定チャンピオンということで、第三十番札所:竹生島宝厳寺の御詠歌碑です。
烏枢沙摩閣
「烏枢沙摩閣」って初めて聞く名前だなと思ったら、お手洗いでした。(·∀·)
烏枢沙摩明王は、密教における明王の一人で、烈火をもって不浄を浄化する明王であることから寺院においてお手洗いに祀られることが多いそうです。
しかし、用を足していて烈火を浴びせられたら、大変ですぜ…。(·∀·)
弁天社
烏枢沙摩閣の傍には弁財天を祀る弁天社があります。
弁天社は、弁財池に浮かぶ形で建っているのですが、たくさんの鯉に混じって、ココにも龍神様のお姿を見ることができますね。
十三重石塔と塔の礎石
すっかり十三重石塔も見慣れてまいりましたが、実はたまたま写ったその前にある巨石が、約1400年前に葛井氏の氏寺として創建された当時の「塔の礎石」だそうです。
礎石の上部に見える直径90cm弱の円形の痕跡が、塔の柱跡と言われています。
忠魂碑
陸軍大将 一戸兵衛書と銘の入った忠魂碑。
藤本利一郎君碑
ちょっと調べてみたのですが、どなたかは判然としませんでした。
しかし、葛井寺の近くに国の有形文化財に登録されている「藤本家住宅」があるので、その関係者の方か、南河内では貴重な藤本酒蔵の関係の方ではないでしょうか??
葛井寺 情報 by 関西御朱印 ブログ
大阪府藤井寺市藤井寺1-16-21
TEL:072-938-0005
無休
参拝料 無料
参拝時間 8:00~17:00
納経所受付時間 8:00~17:00
初穂料 300円
公式ホームページ 西国第5番紫雲山葛井寺〜国宝千手観音の寺〜 | 日本最初の千手観音 (fujiidera-temple.or.jp)
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