西宮成田山円満寺へ
続いて、目指したのは西宮成田山円満寺。
西宮神社の西側に隣接してあるので、いつでも来れる感でなかなか来なかったところではありますが、かつては車を買い替えた際には、必ず御祈祷に伺っておりました。
最近は、すっかり寝屋川市の成田山に浮気しており、申し訳ありません。
国道43号線を神戸方面から走って来ると、この大きな看板が目に付くのですが、本線を走っていると駐車場に入れないので、事前に側道を走っておく必要があるので要注意。
失敗したら、写真の左奥の樹々が西宮神社なので、その先の交差点を左折して、グルッと周ってやり直しとなります。
山門
山門が二つあるのが特徴的です。
右側(東側)の山門が、円満寺本堂に直結する山門。
左側(西側)が、祈祷殿に直結する山門となっています。
創建
円満寺は、現在の西宮市鷲林寺町にあった武庫山鷲林寺を前身としています。
武庫山鷲林寺は、インドから牛頭天王とともに日本に渡来したとされる法道仙人によって966年に創建されました。
しかし、平安時代末期には源平合戦、戦国時代にはお久しぶりの尼崎のろくでなし荒木村重の乱に遭い荒廃し、荒木村重を攻めた織田信長によって焼討に遭い灰燼と帰しました。
その際に、南勝坊阿闍梨信慶法師に霊夢によるお告げがあり、現在地に移転し、「今里鷲林寺」とも称される様になりましたが、1945年8月の空襲で全焼し、所蔵していた記録等を焼失しています。
1948年に円満寺第53世真応により、本堂・庫裏等の諸堂を再建し、中興を果たしました。
本堂と御本尊
本堂の様子です。
御本尊は薬師如来で、摂津八十八箇所第七十九番札所になっています。
祈祷殿
山門は別々ですが、内部では隔たりは無く、同じ寺院のつもりでおりましたが、あくまでも西宮成田山という別寺院になる様です。
西宮成田山の祈祷殿には、1959年に大本山成田山新勝寺の貫首であった荒木照定大僧正の開眼による成田山新勝寺御本尊の不動明王の御分身が祀られています。
また、同時期に高野山真言宗官長の水原堯榮大僧正より、「西宮成田山」の山号を授かり、交通安全祈願道場となりました。
ところで、円満寺の山号は「医王山」です。
以来、交通安全祈願に限らず厄除け等諸願成就を願い参詣者で賑わってきましたが、1995年の阪神淡路大震災で祈祷殿が全壊し、2013年に鉄筋コンクリート造により再建されています。
その他境内
弘法大師像
真言宗の寺院ということで、弘法大師像が祀られています。
子守地蔵尊
コチラは子供たちの守り本尊である子守地蔵尊様。
素人の私なりに解釈すると、「子育地蔵尊様」や「子安地蔵尊様」は子育てする親の立場に立った地蔵尊様で、「子守地蔵尊様」はあくまでも子供を守る地蔵尊様という様な感じでとらえればよいのでしょうか?
神変大菩薩石碑
「神変大菩薩」とは何ぞや??
調べてみたところ、どうやら、役小角(えんの おづの)のことの様です。
役小角は、飛鳥時代の呪術者にして役行者で、いくつかの文献では実在したと言われますが、生没年不詳で、どちらかというと、後世に伝説的に作られた人物と言えそうです。
多くの修験道の霊場で、役小角を開祖としたり、修行の場とされたとあり、このブログでも大阪府高槻市の神峯山寺の開祖としてお伝えした方です。
没後1100年となる1799年に光格天皇が京都市左京区の役小角が元々の開祖とされる聖護院に「神変大菩薩」の諡号を送り、その光格天皇の真筆による勅書は、現在も聖護院の寺宝として残されているそうです。
稲荷社
鳥居が無いのでわかりづらいですが、稲荷社の様です。
御朱印
コチラの授与所で、
「不動明王」の直筆の御朱印を頂戴しました。
確認不足で申し訳ありませんが、「薬師如来」の御朱印も拝受可能だと思いますが、同じ授与所で頂戴できるのか、円満寺の寺務所で頂戴できるのかは不明です。
西宮成田山円満寺 情報 by 関西御朱印 ブログ
兵庫県西宮市社家町1-36
TEL:0798-35-2388
無休
拝観料 無料
拝観時間 4月~9月 9:00~17:00 / 10月~3月 9:00~16:30
納経所受付時間 4月~9月 9:00~17:00 / 10月~3月 9:00~16:30
初穂料 300円
公式ホームページ 西宮市 | 交通安全祈祷 所願成就 | 西宮成田山圓満寺 (naritasan-enmanji.com)
本日のおすすめ商品(成田山 瓦せんべい)
成田山グッズ(もちろん千葉の成田山ですが)を検索していたら、そういえば、私は瓦せんべいが好きだったと思い出しました。
最近、食べてないなぁ…。