越木岩神社へ
伊和志津神社を出て、向かったのは西宮市の越木岩神社です。
西宮神社・福應神社と並ぶ西宮三福神ということで行っておかなければならないであろうという決意の下、少々山道を下る感じで20分ほどで到着しました。
正面石鳥居
例によって例のごとく、一旦、境内に車を停めてから石段を下っての撮影です。
この石鳥居も1995年の阪神淡路大震災で被害を受け、翌1996年に再建されたものです。
石造りの扁額に重みを感じさせられます。
表参道
力石
鳥居を潜ってすぐ右側にある「力石」は、大正年間まで村人たちが力比べに用いていた石で、持ち上げることができると「若衆」と認められたそうです。
しかし、持ち上げられずに「若衆」と認められなかった人はどうなるのでしょう?
狛犬
参道にいた狛犬(阿形さん)です。
阪神淡路大震災 復興碑
1995年の阪神淡路大震災では、西宮市全体で犠牲者約1,100人、倒壊家屋約34,000世帯もの被害があり、甑岩地域だけでも34名の人命と多くの建物が被害を受けました。
この碑は、甑岩神社1,333名の氏子崇敬者の寄進により、震災の慰霊の念と復興の祈念を込めて、震災で倒壊した旧鳥居を用いて建立されたものです。
東参道
コッチが東ということは、私は南から入ってきた様です。
まぁ、東参道には行っていないんですけど…。
創建
詳しい創建年代は不詳ですが、600年~700年頃に創建されたものと推定されており、927年に纏められた「延喜式神明帳」に記載された摂津国・菟原郡に鎮座される「大国主西神社」は、越木岩神社のことを指すものと推定されています。
当初は、東六甲山唯一の霊場で、天然記念物の森に覆われた霊験あらたかな神域として、甑岩を霊岩とする磐座祭祀として、現在の越木岩神社が鎮座する磐座群の象徴として甑岩を祀り、特に女性守護・子授・安産の神として信仰を集めました。
正保年間の1644年頃に社殿が再建され、明暦年間の1656年には西宮市円満寺の教順僧侶が「福神」の総本社である西宮神社から蛭子大神を勧請し、「蛭子太神宮」と称しました。
ところで、先日参拝したばかりの西宮市円満寺については、コチラのページをご参照ください。
西宮成田山円満寺 西宮神社に隣接する交通安全祈願道場に久しぶりに参拝しました|関西御朱印 ブログ (kimikan.com)
以降、甑岩・苦楽園・鷲林寺・柏堂という関西の高級住宅地の産土神として崇敬を集めています。
しかし、いつから越木岩神社と称する様になったのかは不明です。
拝殿と主祭神
拝殿の様子です。
現在の拝殿は、1983年に造営されたものとなります。
主祭神は、教順僧侶が西宮神社から勧請した蛭子大神なので、ココも西宮のえべっさんということになりますね。
拝殿に掲げられた扁額は、旧名の「蛭子太神宮」となっていました。
拝殿内の様子です。
古い絵が掛けられているのが印象的です。
越木岩神社には、天保2年(1831年)の作で、重要有形民俗文化財に指定されている「おかげ踊り図絵馬」が所有されているのですが、写真の物では無さそうです。
拝殿前の狛犬(阿形さん)です。
背面から見た本殿の様子です。
本殿は、1936年に建立されたものです。
山崎宗鑑 句碑
境内に山崎宗鑑の句碑がありました。「照る日かな 蒸すほど暑き 甑岩」
山崎宗鑑は、現在の滋賀県草津市に生まれ、幼少時より室町幕府第9代将軍である足利義尚に仕えましたが、義尚が長享・延徳の乱の最中に病死して以降、世の無常を感じ、出家。
以降は、現在の兵庫県尼崎市等で隠棲し、俳句や連歌を詠んで過ごし、1528年に現在の香川県観音寺市で自らが結んだ「一夜庵」にて、その生涯を終えました。
越木岩神社 情報 by 関西御朱印 ブログ
兵庫県西宮市甑岩町5-4
TEL: 0798-31-0009
無休
参拝料 無料
参拝時間 24時間可能
社務所受付時間 9:00~17:00
初穂料 300円(特別御朱印 1,000円)
公式ホームページ 子授け・泣き相撲の越木岩神社│兵庫 (koshikiiwa-jinja.jp)
本日のおすすめ商品(白い恋人 18枚入 ホワイト 送料無料 石屋製菓)
(2023/09/22 18:07:23時点 楽天市場調べ-詳細)
JAF Mateに掲載されていたJAF会員が選んだご当地おみやげ第5位!
北海道定番おみやげ対決は、僅差で「白い恋人」に凱歌があがりました。
きれいな焼き色のラングドシャークッキーで専用にブレンドしたオリジナルチョコレートをサンド。
いつまでも変わらない美味しさは北海道土産の定番です。