関西御朱印 ブログ
今年から始めた御朱印収集巡りを紹介していきます。たまに閑話休題でペットやグルメ、友人夫婦の子育て日記などについても書き込ますので併せてお楽しみください。
京都府 長岡京市

長岡天満宮 Vol.1 遂にこのブログで菅原道真公の左遷について書いてしまいました

道中の高槻市で一社参拝し、いよいよ長岡京市に向かいました。

と言っても、間の大阪府三島郡や京都府乙訓郡はシレッと飛ばしてますけど。(·∀·)

長岡天満宮へ

国道171号線に戻り、京都に向かい、左折すれば長岡京市というイメージだったんですが、30年以上経つと有料道路が増えたり、そのインターチェンジができたり結構道が違っていました。

変わらないのは、高槻市役所周辺の渋滞だけ…。(·∀·)

学生時代は、先輩のマンションに泊まりに来たり、サントリー山崎工場に短期アルバイトに来たり、何かのソフトボール大会にも来た馴染みある土地だったんですが…。

しかし、道には迷うことなく、無事に到着することはできました。

但し、結果的に結構上というか、ほぼ境内の真隣の駐車場に入ってしまって、車で横を通過してしまったため、記憶にある大通り沿いの正面大鳥居は撮影できませんでしたけど。

拝殿と主祭神

私は写真の右手から入内してきたので、参道も無く、いきなり拝殿の様子です。

祀られている主祭神は、菅原道真公。

周りをウロウロしていたら、ちょうど七五三詣りの御祈祷が終了して、みなさんが退場されたタイミングで拝殿内の撮影ができました。(·∀·)b

ところで、本殿はガードが強固で突破できず、屋根の一部が剥げてるのが確認できた程度で終わりましたが、この本殿は1941年に平安神宮から移築されたもので、京都府指定重要有形文化財となっています。

拝殿前の狛犬(阿形さん)は、随分年季が入っておられる感じです。

主祭神が菅原道真公ということで、神牛さんも充実していました。

創建

奈良時代の後期である784年、桓武天皇の勅命により平城京より遷都され、794年に平安京に遷都されるまでの10年間、長岡の地一帯は長岡京として都の機能を果たしました。

ちなみに、宮殿そのものは現在はお隣となった向日市に長岡宮跡碑が残されています。

菅原道真公御自身は、845年のお生まれなので、その頃は知る由もありませんが、このあたりが道真の所領であったとされ、在原業平らとともに頻繁に、詩歌弦楽を楽しまれた縁の深い地とされています。

そして、創建に際し、触れないわけにはいかないので、菅原道真の左遷について遂に書く時がやってまいりました。

事の発端は、888年に起こった「阿衡事件」で詳細は省きますが、藤原基経と宇多天皇の間に起こった政治紛争であり、藤原基経が職務を妨害することとなり、最終的には当時讃岐守であった菅原道真が京に戻り、基経をとりなして解決に結びつけますが、結果的にこの事件により藤原氏は権力の強さを世に知らしめると共に天皇が事実上の傀儡であることを証明することになりました。

以後、宇多天皇の信頼を厚くした道真は側近に抜擢され、宇多天皇の理想の治世を具現化した「寛平の治」の推進役を務めますが、宇多天皇が上皇(後に法皇)となり、醍醐天皇に譲位した後も、宇多上皇は醍醐天皇の周囲に自らの側近集団を配置し、醍醐天皇の政策の主導を図り、899年には道真は右大臣に昇進し、左大臣であった藤原時平と肩を並べます。

また、宇多上皇は自らの異母妹である為子内親王を醍醐天皇の妃とし、後継者たる男児の誕生を願いましたが、不幸にも内親王は早逝し、醍醐天皇は時平と相談し、その妹である藤原穏子の入内を進めますが、「阿衡事件」の苦い経験から藤原家を警戒した宇多上皇はこれに強く反発し、藤原氏と連携して政治の安定を図る醍醐天皇との対立が明確になります。

そして901年、「宇多上皇を欺き惑わした」「醍醐天皇を廃立して娘婿の斉世親王を皇位に就けようと図った」とする時平の讒言により、突如醍醐天皇の宣命により、道真は大宰員外帥に降格され、大宰府へと左遷され、子供四人は流刑に処されました。(昌泰の変)

これを聞いた宇多上皇は、醍醐天皇に面会しようと駆け付けたものの藤原氏を中心とする衛兵に阻まれ参内できず、また醍醐天皇には上皇の参内は取り次がれなかったといいます。

しかし、道真自身は身分の高い生まれでないことや周囲の妬みを感じ、事あるたびに出世を辞退し続けていたこと、最終的に道真を追いやった時平とも父の代から比較的円満な関係で、単なる時平の陰謀ではなく、道真に反感を抱く多くの貴族層に押されてのものだと言われています。

さて、左遷された道真は大宰府に向かう途中、長岡に立寄り、「我が魂長くこの地にとどまるべし」と名残を惜しみ、道真の没後に大宰府に付き添った中小路宗則が道真自作の木像を持ち帰り、祀ったのが長岡天満宮の始まりで、創建年代は不詳ですが、応仁の乱で焼失後、1498年に再建されたとの記録が残っています。

危惧した通り、菅原道真の左遷のお話は長くなってしまいました…。

長岡天満宮 情報 by 関西御朱印 ブログ

京都府長岡京市天神2-15-13

TEL:075-951-1025

無休
参拝料 無料
参拝時間 24時間可能
社務所受付時間 9:00~17:00
初穂料 通常御朱印 300円 季節替わり御朱印 500円
公式ホームページ 長岡天満宮 (nagaokatenmangu.or.jp)
本日のおすすめ商品(サントリー 山崎 700ml シングルモルト箱付 ウイスキー)

このあたりに来ると、サントリー山崎ですね。(·∀·)b

私も結構好きで、頂きものをチビチビしながらブログを書いていることもしばしば。

おかげで、最近、佐藤健に似てきたと言われます。(·∀·)

ABOUT ME
kimikan
55才のおじさんです。 体調を崩して、今年1月末に退職し、現在無職の日々を過ごしています。 せっかくの機会を活かし、新たに始めた関西近郊の御朱印収集を中心に、愛するペットや友人の子育て日記、グルメネタ等について日々綴っていこうとブログを開設しました。 拙い文章ですが、どうぞよろしくお付き合いください。

COMMENT

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

コメントは日本語で入力してください。(スパム対策)

CAPTCHA