Contents
- 1 長谷寺 Vol.4
- 1.1 本堂域続編
- 1.2 長谷寺 情報 by 関西御朱印 ブログ
- 1.2.1 奈良県桜井市初瀬731-1
- 1.2.2 TEL:0744-47-7001
長谷寺 Vol.4
本堂域続編
鐘楼(尾上の鐘)
上登廊から上がって来ると、本堂東脇に本堂と繋廊で接続された鐘楼の下に辿り着きます。
この鐘楼と繋廊も本堂と合せて、徳川家光の寄進により1650年に再建されたもので、国指定重要文化財になっています。
ところで、この鐘楼ってどうやって上がるの?って考えてたら、
割とわかりやすい階段がついていました。(·∀·)
何か後ろ向きじゃないと怖くて下りれなさそうですが…。
ちなみに、この鐘楼に吊るされる梵鐘は、かつて藤原定家が「年を経ぬ 祈る契りは 初瀬山 尾上の鐘の よその夕暮れ」と詠んだことから「尾上の鐘」と呼ばれています。
しかし、「尾上」の意味がわからない…。
一説では、登廊を龍に見立てて、仁王門が頭で鐘楼が尾に当たるので、「尾の上の鐘」という説もありますが、謡曲「高砂」で有名な兵庫県高砂市の尾上神社に伝わる鐘も神功皇后が朝鮮半島から持ち帰った鐘として国指定重要文化財になっているのですが、その関係性はわかりません。
松尾芭蕉 句碑
あるぞあるそと思ったらやっぱりあった芭蕉の句碑「春の夜や 籠り人床し 堂のすみ」は、1688年に芭蕉が長谷寺で詠んだ句とされています。
大伴坂上郎女 歌碑
大伴坂上郎女は、万葉集の代表的女流歌人ですが、この石碑は読めん…。(·∀·)
案内板によると「こもりくの はつせのやまは いろづきぬ しぐれのあめは ふりにけらしも」という歌が、なぜか全文漢字で書いてあるそうです。
能満院
一旦、本堂前にある納経所を通り抜けて、子院の能満院に向かいました。
子育地蔵尊
山をバックに建つ子育地蔵尊様。
ミニ地蔵尊群
ちょっと、意味するところは不明ですが、たくさんの小っちゃな可愛らしいお地蔵様。
慈雲地蔵尊
慈雲地蔵様は、身代り地蔵様として全ての悩み・痛み・苦しみを引受けてくださる大変ありがたいお地蔵様です。
子安観音
山々を眺めながら、お子様をお育てになっている子安観音様。
水掛地蔵尊
随分、お久しぶりにハッキリと明記されていた水掛地蔵尊様。
まぁ、そういう時は敢えて水掛けしないんですけど。(·∀·)
創建
能満院は、長谷寺に求聞持堂(密教で虚空蔵菩薩を御本尊として行う記憶力増進のための修行をするお堂)が無いことを憂いた宥仲上人と寛海上人により1713年に建立されました。
その後衰退し、1810年に長谷寺第38世世即上人によって再建され、海如上人により地蔵堂が建立され、御本尊の虚空蔵菩薩が秘仏ということもあり、現在では海如上人によって建立された地蔵堂に祀られる日限地蔵尊の御利益で知られる寺院となっています。
地蔵堂
コチラが日限地蔵尊が安置される地蔵堂です。
願掛けの日を限定することでより御利益が得られるとされるお地蔵様ですね。
不動堂
能満院にも不動明王が安置される不動堂がありました。
修行大師像
修行大師様は、水掛地蔵尊様以上に随分とお水を浴びていらっしゃる様な感じです。
塔婆供養所
塔婆供養所には弘法大師・興教大師の肖像画がありました。
絵馬堂
絵馬堂の中央も弘法大師様でしょうか??
慈母観音
一番奥に安置されていたのは慈母観音様で、更に奥が能満院の山門かと思われます。
山門の前に陣取る番犬見習いの「たび」ちゃんは、「時々サボッていますが修行中の身ですので、触らないでください」との注意書きがありました。(·∀·)b
御朱印
能満院では、日限地蔵尊の御朱印を頂戴することができます。(·∀·)b
御朱印帳も可愛かったのですが、さっき岡寺で買ったばかりなのでグッと我慢しました。
三社権現(瀧蔵三社)
能満院を出て、長谷寺境内北側の山側に行くと、733年、聖武天皇の勅命により徳道上人が創建し、1650年に徳川家光により再建された三社権現があります。
右から、東社 石蔵権現(地蔵菩薩)、中社 瀧蔵権現(虚空蔵菩薩)、西社 新宮権現(薬師如来)が祀られています。
稲荷社
三社権現の北西部、より高い位置に鎮座される稲荷社です。