時間的に16:00を過ぎていたので、大きな住吉大社を周るのは難しい時間帯になってしまいました。
今年の初詣で住吉大社に参拝しており、既に御朱印は頂戴しているというのもあります。
しかし、当時はブログを書いていなかったので写真を撮っていないという事情があり、いつかは再度参拝するつもりでおります。
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阿部野神社へ
そこで、今回は安倍晴明神社から南下しての住吉大社参拝は断念し、西にある阿倍野神社に向かいました。
北側入口で神馬さんに出迎えられて境内に入ります。
創建の由緒と主祭神
今神社は、南北朝時代に南朝方として戦った北畠顕家公とその父である北畠親房公を主祭神とする神社です。
元々は、1338年に顕家公が足利尊氏の側近である高師直に石津の戦いで敗れ、21歳の若さで亡くなったとされる地に地元の有志たちが顕家公を祀る祠を建てたことに始まります。
その後、近隣より1878年に顕家公をお祀りする神社創建運動が起こり、政府もこれを受け、1881年の御祭神を顕家公と親房公の御両神とすることを決定しました。
ちなみに、創建の有志たちは当初は参拝に便利な天下茶屋に創建することを考えていたそうですが、天下茶屋が民家も近く低湿地であったこと、建築地を近隣の丘の上に変更する様、申し入れたことで、現在地への変更が認められました。
そして、1882年に阿部野神社と号して別格官幣社に列せられ、1885年に創立、1890年に鎮座祭が斎行されました。
拝殿の様子。
主祭神として、北畠顕家公と北畠親房公が祀られていることが明記されています。
御魂振之宮(奥宮)の名称で、天照大御神、三輪大神、少彦名大神、菅原道真公が祀られています。
多数の境内摂社
摂社である旗上稲荷社。
こちらの御祭神は、豊受稲荷大神、高倉大明神、白鷹大明神。
なるほど、「一旗揚げる」っていう意味で、旗上稲荷なんですね。
こちらは、旗上芸能稲荷社。
大宮能売大神を祀る芸能上達の守護神です。
南部師行公とその一族郎党百八名の御霊を祀る勲之宮。

歴代の宮司さんたちを祀る祖霊社。
大きな狛犬の手水舎というのは、お目にかかった記憶が無いかも…。
生田花朝女碑
歌碑かと思いましたが、日本画家の生田花朝女(かちょうじょ)氏の略歴と石碑。
大阪城天守閣にある四天王寺聖霊絵図や浪花天神祭、大阪天満宮にある浪花天神祭、法隆寺にある山城王入滅図を描かれた方です。
1978年に亡くなられていますが、阿倍野区帝塚山にお住まいだったそうです。
詩歌の道
広い境内には、こんな場所もありました。
板に詩歌が刻まれています。
看板にあったお茶室ですね。
由緒ある旅館の様な風情です。
御朱印を頂戴している間に、南側の鳥居を撮影しました。
この後、門扉が閉められそうになって、慌てて境内に戻りました。
どうやら17:00閉門の様です。
御朱印
阿部野神社と旗上稲荷社の直筆御朱印を頂戴しました。
その後、西側から帰ろうとしたら、また門扉が閉められそうに…。
「あれ?コッチからお帰りですか?」って言われて、もしかして南側開けてくださってたんでしょうか?
たぶん、南海電車:岸里玉出から来るこの西側参道が正門だと思われます。
いつも以上に多くの写真を載せましたが、思ったより広い境内で、見どころたくさんの神社でした。
阿倍野と阿部野
ところで、コチラは阿部野神社ですが区名は阿倍野区。
近鉄電車も、大阪阿部野橋という名称です。
昔から混在している様ですが、元々の住吉区が住吉区、阿倍野区、東住吉区に3分割された際に、土地台帳に記載されていた阿倍野区を名称としたそうです。
ですから、公的機関・公立のものは阿倍野で私立は自由。
近年できた、あべのハルカスやあべのキューズモールは、ややこしいからか、ひらがなにしちゃったりローマ字表記も増えているそうです。